SNSのタイムラインに流れて来たものを拾い上げるのも
その時々で面白いなとは思うのですが
私が読みたいなと思っている人のブログへ
自分から読みに行くのもなかなかいいものです。
昨年8月にこのエントリ
で引用させていただいたfuru-tさんのブログ。
もともとFacebookのタイムラインに流れて来たもので
それから氣に入っているのでちょいちょい見に行ってます。
最近のエントリの中でこういうのがありました。
「「嫌い」だけど「大好き」ってこと」
昨日アップしたエントリに書いていた
「意識する」につながる内容だな〜と思いました。
「好き」と「嫌い」が同じカテゴリに入るって
すぐにはピンと来ないかもしれません。
言葉の意味にとらわれちゃうと
「ぜんぜん違うものなのに!」となりますが
ココロの動きを追ってみると同じカテゴリに入るのがわかります。
それがfuru-t さんの言う「感情が動くか、動かないか」。
こんな風に書かれています。
自分が好きなもの→好きなもの
自分が嫌いなもの→氣になって仕方がないから、実は好きなもの
感情が動かない関心のないもの→どうでもいいものということは、好きであれ、嫌いであれ
感情が動くものは全部「大好き」なものなんだな。
私自身も普通にそれを経験しています。
嫌だ!嫌いだ!と言いながら目で追っているのは
どうしても氣になってしまうから。
その状態を観察してみると、
感情が動くという側面では「好き」と違いはありません。
いやよいやよも好きのうち、
とは昔から言われることですが
確かにそうだよなぁと思います。
そうは言っても、好きと嫌いは違うものじゃない?
でも、そんなに違わないんですよ。
その時の自分の状態に左右されることがほとんど。
furu-tさんが「線引き合戦」と書いているように
好きと嫌いを数直線の両端においた上で、
自分が目盛りのどこに氣持ちをおいているか、みたいなもの。
その数直線が成り立つ大前提が「感情が動いた」です。
感情が動いた中での線引きが「好き」「嫌い」。
ミクロの視点で見ていると違いが大きいかもしれませんが
一つ視座を上げる(俯瞰(ふかん)する)と
どちらもそんなに違いがないんです。
それよりも「自分の感情が動く」ということが大切。
自分に必要なものとココロの奥底でわかってるということだから。
表に出てくる感情や氣持ちの奥に隠れているもの
それをじっくり見つめる時間を持ってみませんか?
一人では掘り下げるのがなかなか難しいことも
対話をしながらだと、案外簡単にいくものですよ。
今の自分の思いを「意識して」キャッチするのは
自分自身を大切にする一歩だと思います。
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