自分で忘れてしまおう、
無かったことにしてしまおうとしているもの。
あなたにはありますか?
あなたに、嫌なことを思い出せ!というつもりはありません。
これから書くことは私自身の経験です。
お恥ずかしいですが、私自身の備忘録として。
私の持つ困った「クセ」とは
私には「拗ねる」クセがあります。
「拗ね癖」だと自覚するまでは、
私は常に自分を被害者だと思って
周りに怒りをばらまいていたんです。
まだまだ拗ねる時はありますが、
これが身につけて来た「クセ」だと自覚してからは、
拗ね始めようとした私の首根っこを
猫の仔を掴むようにひょいとつまんで
「それでいいの?」と問いかける「私」が出て来ました。
その問いかけにハッとして、状況を見渡し、
何故「拗ね」に入り込もうとしたのかを
思い出すことができるようになって、
それでひどく拗ねずに済んでいます。
人との交渉パターンとして「拗ねる」戦法を取って、
自分を優位に持って行こうとするんですね。
子供がダダをこねるのと全く一緒。
私に必要だったのは
自分の氣持ちを感じた後に
「どうしたら良かったか」という部分でした。
相手ばかりを悪者にして、
自分を被害者というある意味優位な立場に置くだけで
済ませてしまっていました。
私が「被害者」でいたかったことに氣づく
ある時、私が「似合わない、苦手」と言い張って
目を背けてきた、服とメイクの扉を開けてくれた人に対して
「拗ねた」対応をした私。
相手の氣に食わないところをあげつらって、
自分を被害者のままにしておき、
そのままにしてしまっていました。
それから数年経った今年、
服とメイクについて別の方達と出会い、
その診断とアドバイスをお願いしようと思っていて、
件の「拗ねた対応」を思い出したんです。
以前は、他の人に誘われるままに行って、
「私は『わからない』んだから、
あなたがそこを汲み取って教えてくれるはず」
と思っていた、
「お客様として丁寧に扱ってくれるはず」
と思っていた、
これらのことが、「私の思ったような」感じで感じられなくて、
後で「なんか感じ悪かった」と口にしていました。
感じ悪いのはどっちやねん!
お前やろ!!!!!!
でも、その渦中にいる時は全く氣づきませんでした。
氣づくどころか、相手を悪者にしていたんですから…
わからないところは聞けばいいんです。
普通に聞いたらちゃんと教えてくれるはず。
たったそれだけのことが、「被害者」でいた間はできなかったし、
やりたくありませんでした。
なぜって…今ならわかります。
それは「被害者」でいられなくなるから。
こちらからの意思表示をしもしないで
相手に「察してもらおう」は虫が良すぎました…。
これが、私のやらかしてきた経験の一つ。
言いたいことはとりあえず言ってみる
被害者でいることを辞めてから、
いろいろと過去のやらかしてきたことを反芻しています。
すると、今まで私が外に向かって腹を立てて来たことって
ほとんど自分が無自覚のままやってることだったと氣づきました。
…恐ろしいです…
反省することがあまりにもあり過ぎますが、
そのおかげで氣づくきっかけにはなっています。
以前のエントリでも書いた「察してもらいたい」と「察する」の違い。
想像力を使うことが大切と書きました。
これをうまく使っていかなくてはね。
Aihal-Sophiaは「コミュニケーション」を大事にしています。
そのコミュニケーションは、
「言いたいことは取り敢えず言ってみる」がコンセプト。
上手く話そうとする必要はありません。
ご自分の思いが伝わればいいわけですから
いろいろな表現を使ってみてください。
自分を被害者のままにしておくくらい
無駄なことはないなと実感しています。
ちょっとだけ勇氣を出してコミュニケーションを!