事の発端から1年以上、ずっとずっと考え続けていることに
やっと自分なりの落とし処がやってきました。
2月末に「かみさまとのやくそく」を観に行ったときにも
感じていましたが、 そこからさらに4ヶ月経って
今ここでやっと肚が定まったと感じています。
それが自分を磨くこと。
私が思い描く「自分を磨く」とは、
人として堂々と胸を張れるようにすること。
私が「こう在りたい」と思う姿に自分自身を近づけるために
自分を磨き続けようと決めました。
私なりのちょっとずつですが、行動も始めています。
正しさを押しつけるのではなくて模索していく
実は、今でもついついやってしまいがちなのが
自分が思う正しさを人に押しつけてしまうこと。
「なんで、あの人はあんなことをしてしまうんだろう」
「あんなことをしていたら、人から信用されなくなるのに」
そんなことを思いながら、
いわゆる良かれと思って意見していた頃、
反発されるたびに割り切れなさを味わっていました。
「私が間違っているんだろうか?」
そこに迷って悶々と悩んだり、もういいやっ!と投げてみたり。
でも、やっぱり氣になって自分に問いかける日々が続きました。
「かみさまとのやくそく」を観に行くバスの中で
「私はなぜそうしようと思うんだろう?」
と問いかけているうちに、
ふと
「あぁ、私が『そうしたい』からやっているんだ」
と氣づく瞬間がありました。
自分を磨くのは自分のためばかりではないことにも氣づいた
たとえば、「遅刻しないようにする」として、
私はこんなことを考えています
- 遅刻してみんなを待たせるのが嫌だ
- 氣を使わせるのが嫌だ
- みんなの時間を奪ってしまうことになるのが嫌だ
だから、私は時間に間に合うように『早め』に現地入りします。
時間より早く会場に入るわけではなくて、
現地付近で時間調整してから入ります。
ですが、「嫌だから、そうならないようにしよう」という考え方が
最近は何だか重くるしく感じるようになりました。
「嫌だ」を回避する選択を重苦しく感じるのです。
この「嫌だ」は、「どうしたら氣分がいいか」に変換できます。
それに氣がつくと、なぜかストンと腑に落ちました。
- 時間通りに始められると、全員がストレスを感じることがない
- ストレスを感じなければ、より笑顔でいられる
- 最初からみんなが笑顔でいられる方法を選びたい
だから、私は時間に間に合うように『早め』に現地入りします。
結論は同じですが、その考え方の基が違うだけで
その後の氣持ちの持ちようまで変わってきます。
自分のためであり、それがひいてはそのグループへの貢献にもなる。
この考え方の切れっ端を掴んではいましたが、
しばらくはその全体像をつかめずにいました。
アドラー心理学を紹介した本「嫌われる勇氣」の著者、
岸見一郎さんのインタビューや「幸福の条件」などを読んだり、
プロ野球日本ハムファイターズ監督の栗山英樹さんが
選手に勧めている本「論語と算盤」を読んでみたりするうちに
その全体像がやっと見えてきました。
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それが自分を磨くということでした。
自立し、自律するためにやり続ける
自分が正しいと信じていることを、ただやり続けるだけ。
人に押しつけるのではなく、わかってもらいたいと主張するのでもなく、
ただ、自分の良心に従って黙々とやり続けるだけです。
正しいと信じていたことが、もしも合わないと感じたら
その時の私がこうしたいと信じることを新たに選んでいきます。
今までも氣がつけばそうするようにしていましたが、
これからは、何の氣なしにやってしまっていることに
もっと意識を向けていくことになります。
たとえば、
- 人の悪口を言わない
- 安請け合いはしない
- 約束をきちんと守る
など、ついつい「まぁ、これくらい…」と思いがちなところを
何度でも見直していくことになります。
何度でも、というのはやっぱり自分の心が弱いから。
無理に「強くしなくちゃ!」というのではなくて
できない時が続いても、
またそこから一歩ずつ始めるということです。
誰のためでもなく、私自身のために。
私が、私自身をずっと信じ続けるために。
下手な自己卑下に陥らないようにするために。
それが、私が目指す自立であり「自・律する」だから。
クサいセリフかも知れません。
いい子ぶってるように思われるかも知れません。
でも、そんなのどうでもいい。
自分が信じることをやり続ける忍耐力も
私が身につけたいことだから
人がどう思ったとしても関係ありません。
やいやい言って来る人が
私の人生の面倒を全部見てくれるわけじゃないから。
何度も何度でも試行錯誤すると思います。
それでも何度でもやり直していくと思います。
それが私のやりたいことです。