こんにちは
今日は朝からやりたかったことをやろうと、取り掛かったところです。
ところがです。
やるのはやるし、続けるのですが
早々に悶絶しちゃったので、メモとして残しておきます。
イクイリブリアムボトルの探求
事の起こりは、オーラソーマ®のボトルの考察を
自分でやろうと思ったこと。
八戸のきづきさんのところで
毎月開催しているカラーの探求があるんですが
最初の頃は皆勤賞もので出席していたんです。
まあ諸事情もあり、なかなか最近は出席もままならず。
そんな中、復習をしようと以前のノートを
引っ張り出して来た時にふと思ったんです。
「私、きづきさんがやっているように、
自分自身で解釈しようとしてるだろうか」
曲がりなりにもコンサルテーションもやっているし、
勉強会にも出ていろいろやっているけれど、
自分自身で解釈しようとしたことがあるだろうか?
と疑問に思っちゃったんです。
ボトルも使っているけれど、
よく分からないままになっているものもあるし、
選ばないボトルもあるし。
何より本数が多いから、
全部を使ってみてから解釈するというのも
時間がかかってかなり大変。
ボトルの意味やコンサル例なんかで
知っていることはいろいろあるけれど、
私自身の腑に落ちているボトルが何本あることか。
私自身、一から何か新しく作り出すのはとても苦手です。
お手本があって、それをなぞっているうちに何かに氣がつく、
というのであれば
よくやってきた方法なので得意。
そんなわけで、ボトルのカラーの考察を始めてみたわけです。
悶絶した理由とは?
1本ずつのキーワードやボトルの成り立ち、
タロットとの関連などをまとめていると、
文章を読んでいるだけなのにどうしても進まなくなる個所が出てきます。
それを他の本をチラ見したり、
Facebookを見たりしながらいなしていたのですが…。
ふとその中で氣になる言葉や事柄が出てきたので、
それをメモしておこうと書き出し始めたら、止まらないんです。
自分の氣持ちが溢れてくるというか、絶対に人には見せたくないし、
見られたくないようなことを書き留めていました。
手が震えていましたし、心臓の鼓動も激しくドキドキしていましたが、
なぜか、書かずにはいられなかったんです。
その感覚を忘れたくなかったから。
そして、行動してみることにしました。
この行動は誰にも影響しません。
私自身の心の内側の出来事なので。
けれど、その行動と、行動を支える考えを目に見える形で、
私自身が忘れないようにしようとしたのは珍しいかもしれません。
形にしたかったのかも…。
そうしてから、ボトルの探求に戻りました。
引っかかって進めなかった場所。
それは、ついさっきまでやっていた行為の
内容に関することだと氣がつきました。
そのことに氣がついた瞬間の動悸と息切れ…
誰か救心を私にくれないかと、本氣で思いましたわ。
「意識的になる」という言葉を、
このブログでも何度となく使ってきましたし、
コンサルテーションや、普通の会話でも何氣なく使ってきました。
本当に意識を向けて、本氣で考えて、行動に移すということは、
実はものすごくエネルギーを使うことでした。
しかも、その意識を向ける対象はそこらへんに転がっているんです。
ありふれた石ころからでも。
日々、どんなことからでも学べるということは
現実に起こっていることに目を向ける、ということで、
その目を向けたことに対して、本氣で自分の心と向き合う、
ということなんだと悶絶しながら思いました。
自分の考えていることですら
世間一般のフィルターをかけたままだということに氣がつくと
この悶絶の世界が開けてきます。
悶絶したくなければ、フィルターをかけたまま通り過ぎればいいです。
フィルターをかけてることに氣がついて、
外したくなったら悶絶しましょう。
さいごに
きづきさんは、こんな感じになりながら探求していたのかなぁ、
とふと思いました。
違うかもしれませんがね。
ボトルが目の前に無くても、
オーラソーマ®的に考えてしまうフリークとしては、
このボトルの探求、やめられそうにありません。
こうして言葉で記しておくことが、今の私にできることでしょうか。