「私」と「あなた」 〜自律と他者との関係

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
Aihal-Sophia【アイハルソフィア】いがまゆみ です

■ お知らせ ■ *日曜セッション会@アイーナ
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いよいよ明日、17日月曜・海の日ですが
ビッグルーフ滝沢 大会議室で
「ヒーリングフェスタ 2017 vol.2」開催です!

ヒーリングフェスタ もりおか
ヒーリングフェスタ もりおか、滝沢市下鵜飼1-15 - 「いいね!」196件 · 34人がチェックインしました - イベントプランナー

お天氣が不安定かもしれませんが
ほっこり癒しのスペースで楽しんでいただけたらと思います。
ぜひ遊びにいらしてくださいね!

さて今日は、昨日のエントリに関連したことを書こうと思います。

自分を磨くことに専念する
事の発端から1年以上、ずっとずっと考え続けていることに やっと自分なりの落とし処がやってきました。 2月末に「かみさ...

2つの「叱られた」出来事

私は「自分を律する」を自分自身に課していますが
それは、裏を返せばそれだけ「自律」について問題があるからなんです。

何度も書いているのでウザいかもしれませんが
私は、とにかく「正しい」にこだわる癖があります。
「間違い」に敏感と言ってもいいかもしれません。

正しさを声高に言い募ることもあったので
本当にウザがられていた時期があったのもわかっています。

そんな私も、人からピシャリ!と指摘されたことが何度かあります。

強烈に感じたのは2つの出来事。

一つは、京都の商店街で自作のおにぎりを食べながら歩いていた時のこと。

ふと見かけた小物が可愛らしくて、何の氣なしに手を伸ばしたら
「あんた、触らんといてんか!売りもんが汚れるやろ!」
と、店のご主人に強く注意されました。

思わず「ごめんなさい…」ともごもご言ってその場を離れましたが
人前で叱られたことの恥ずかしさに加えて
この歳でそんなことも氣がつかなかった自分が
恥ずかしかったのとで
とても強烈に覚えています。

もう一つは、別の時に一人で京都のとある町屋宿に泊まったときの出来事。

静かに過ごしたい人向けの宿で、古い町屋を改装した宿なので
防音設備などはありません。

宿の部屋で、私は携帯電話で小声で友人と話をしていました。
私なりに配慮して、トーンを落として話していたつもりでした。

ところが、翌朝チェックアウトして外へ出たときに
見知らぬ男性にこう言われました。
「あんた、昨夜部屋でうるさかった。電話なら外で話せ、非常識だ!」

唐突だったのでとてもびっくりしましたが、
その時も「すみませんでした…」ともごもご言ってその場を離れました。

面と向かって指摘されて恥ずかしかったのと、
「私、そんなにうるさくなかったはずなのに…」という思いとで
その時は腹を立てていました。
でも「迷惑をかけてしまったこと」が恥ずかしくて仕方ありませんでした。

この時のことを思い出すと、今でも冷や汗が流れるような思いをします。

自分の、そして自分への見積もりの甘さが招いたこと

どちらも40歳を超えてから経験して、
顔から火が出るように恥ずかしかったことを覚えています。

叱られたことはもちろんですが、
「私の言い分」で行動していたことが、他人の迷惑になっていると
はっきり目の前で指摘されたのがショックでした。

それまで私は正しく行動しているはずと思い込んできましたから。
他人に迷惑をかけるようなことはしていないはずと思っていました。

上の2つの出来事は、よく考えればわかることです。
当時の私がよく使っていた言葉で言えば「普通、わかるでしょ」
そんな調子で私は他人に説教していたのに。

甘かったですね…自分の言い分に。
そして、他人の言い分をものすごく甘く見積もっていたんです。
「これくらい許してもらえるだろう」って。

これは長年使ってきたので、簡単には抜けていきません。
ともすると「まぁ、いいか、これくらい」と思っちゃいます、今でも。
だから「自分を律する」を課しているわけです。
極端に走らないように。

世の中は「私」と「あなた」で成り立っている

上にあげた2つの出来事を通して強烈なショックを感じたのは
今は、私にとってとても良かったなと思っています。

自分のダメダメなところ、理想とするところ、
そのどちらもを客観的に知る機会があったおかげで
その上でどうしたらいいかを知ることができたからです。
時間はかかってしまいましたが…。

面白いなと思うのは、 先の2件はどちらも京都での出来事なのですが
そのとき、私は京都のマクロビオティックの教室に通っていたのです。

料理を入り口にして「陰陽」の考え方を身につけていく教室で、
はからずもその陰陽について学んでいたことになります。
惜しいのは、その時氣がつかなかったことですね…はぁ〜。

ただ一つの絶対的な「正しさ」があるのではなくて
その時の「私」と「あなた」という関係の中で相対的に「正しさ」が定まります。
そして、それも時と場合により変化していきます。

その成り行きがわかってくると、
あれだけ「正しさ」にこだわった瞬間湯沸かし器の私が
「そういうこともあるよね〜」とおだやかに言えるようになってきました。

私と違う感じ方、捉え方をする人がいること
相手側にも、相手の言い分があるのだということ
お互いに氣分良く過ごすには配慮が必要なこと
言葉にしないと伝わらないのだということ

それらを意識的に理解するのが本当に大切だと感じています。

人は一人では生きられないので、どうしたって他人と関わります。
関わらずにいられないだから、お互いに氣分良く過ごせるようにしたい。
それは相互依存にもつながっていると思います。

世の中は「私」と「あなた」で成り立っています。
あなたは、自分と周りとをどのように関わらせていますか?

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