昨日の講演会の内容と直接関係はないのですが
講演を聴いてから思いついたことを一つ書きましょう。
最近のコンサルテーションで
私がよく言うことともつながっています。
私が一番凹んだ経験から
以前のエントリに書きましたが
ここ最近で私が一番凹んだことがあったんですね。
この時は、
私のやり方がまずくてAさんに指摘されたと思っていましたが
実は別の人(Bさん)も似たようなことで
Aさんから指摘されていたのが わかったんですね。
それがわかって、いろいろ思うことがありました。
まぁ、実際のところ
私もBさんも、本当にやり方がまずかったわけなんですが
Aさんの言い方の問題もあるのかなと。
私の場合、同じような指摘を別のCさんからも受けました。
そのCさんの指摘は
叱っているんだけれど、指示が的確なので
そのシチュエーションで何をしたら良かったのか、
次にそうしないために、今何に氣をつければいいのか、
がとてもわかりやすかったんです。
なので、確かに「わ、やっちまった!申し訳ない!」
とは感じましたが、そんなには落ち込みませんでした。
ところが、今思い起こすとAさんの指摘は
Aさん自身の感情がものすごく入っていて
それをどストレートに向けてこられたな、と。
指示はわかりやすいものではありましたが
感情をぶつけられたことの衝撃が大きくて
指示がまともに頭に入ってくるのに時間がかかりました。
そして凹む以上に落ち込んでいった経緯があります。
私もBさんも
「Aさんを怒らせたくないから緊張するよね」
「なんか近寄るのがちょっと怖いんだよね」
そんな感想を交わしたので
あぁ、同じような思いをしたんだなとわかったのでした。
何を意識するのか、意識しているのか
で。
ここからが講演会を聴いた後に考えたことです。
Aさん、Bさん、Cさんはもう関係なくて
私自身がどういう方向性を持ちたいのか。
それを考えていました。
相手に何を手渡すのか。
自分が嫌な思いをしたことを繰り返すのか、
それとも、別のやり方を取るのか。
よくある例ですが
母親がお姑さんからいじわるをされて辛い思いをしたので
1、嫁にも私が味わったのと同じようにしてやる
(嫁とはそういうものだ)
となるのか、
2、私が嫌な思いをしたから、嫁にはそういう態度を取らないことにしよう
となるのか。
上下関係を意識すると1になりがちです。
学生時代の部活とかはこの構図が多かったですし。
2は横の関係を意識していると思います。
相手を同じ仲間と見ているというか。
他にもあると思いますが、とどのつまり、
自分はどんなやり方を取ると決めるのか、だと思うんですね。
発信という意図づけをするから受け取れる
これは
人に対してイラっとしてはいけない、とか
人には常に優しく接するべきだ、とかいうのではありません。
〜すべきだとか、〜しなくてはならないよりも
「私はこんな風にしたい」ではないのかと。
きれいごとに聞こえるかもしれませんが
意識しないと始まらないし
意識したからには、それを実行しないと変わりません。
講演会で聞いた言葉の一つ
「発信しないと受け取れない」
これはパスワークでも耳タコで聞く「意図づけ」でして
やっぱり意識したら
意図を持って発信するから、現実に受け取れるんです。
周りの人を見ていてもそうだし、
私自身も実感しているからなおさら。
なので、講演会で聞いた言葉をちょいアレンジ。
「発信するから受け取れる」
これがタイトルにもつながっていきます。
嫌なことを嫌だ!と発信すると嫌な現実しか見えてきません。
自分の望むものが欲しかったら
望んだように発信していくのが近道で王道。
それなら
自分がどんなことを望んでいるのかを知らなくちゃ。
「わからないんです〜」
と試行錯誤をあきらめてる場合じゃありませんよ。
いろいろ経験して、感じて、観察、考察が必要。
そんな自分の内側の考察に最適なのがオーラソーマ。
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自分の内側に向き合っていきませんか?