たまたまNHKのSWITCHという番組を通して
石内都さんという写真家の言葉を聞きました。
かなり要約してますけどね。
「写真は目に見える形しか撮れないけど、
私は、目に見えないもの、時間とか人生とかを
そこに撮りたかったんです」
この言葉を聞いて、
私がこの人の対談番組を録画した理由が分かった氣がしました。
偶然出会った石内都さん
私は石内都さんのことをまったく知りませんでした。
こんな写真を撮っている方。
番組を録画するときは、タイトルと出演者を確認します。
この石内さんと対談しているのは女優・監督の杉野希妃さん。
どちらの方もまったく知らないのに、
なぜかこの放映(しかもアンコール放送)を録画したんです。
録画してすぐ見るわけでなく、
たまたま昨日の「言葉にする」のエントリを書いてから
なんとなく消化するために録画を見ていて
先述の言葉に出会ったというわけ。
私自身、言葉を大切にしている、と言っていながら
言葉に囚われているんじゃないか、
目に見えないものを言葉にしたとしても
そのイメージや本質から遠ざかってしまうのではないか、
そんなことを書いた後にふと考えてしまっていました。
ですが、石内さんの言葉を聞いて
あ、私が言いたいことはこのことだ!と思いました。
写真で瞬間を切り取る写真家のように
私が表現したいのも、単に言葉で表すことではなくて
その言葉の後ろ側にあるもの。
その人の想いだったり
経験だったり過去だったり。
その言葉を紡ぐまでの心の動きを感じたいのだと思います。
写真やアートが作者の手を離れた一作品として
鑑賞する人と向き合った時に
その見ている鑑賞者の心と共鳴したものが現れてきます。
同じ作品を見ていながら、
まったく違う印象や感想を持つのはそういうことだと思います。
このブログエントリの中では
「アートは鏡です」
と言っています。
私はそれを言葉に感じているんですね。
つたない言葉でつなぐしかなかったとしても
その言葉が出てくるまでのプロセスを大事にしたい。
目の前にいる「その人」を知りたいから。
その人が自分で紡ぎだすもの
そう言えば、前にもそんな内容のエントリを書いていました。
今もやっぱり思っていることは変わりません。
表現方法は少しずつ変わりますが
根っこの思いはほとんど変わっていないというか。
言葉って毎日使うものだし、つい無意識に使っていて
その時々でぞんざいになったり丁寧になったりするもの。
だからこそ、使っている言葉は
その人自身を雄弁に物語ります。
語っている内容はもちろんですが、
どんな言葉をどう表現しているのかも含めて。
私はそこまで汲み取りたいと思っています。
仕事でも、仕事でなくても。
その人が自分で紡ぎだす「その人自身」を受け止めたいと思っています。