選択が私を創ってきた

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
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こんにちは

先日、
ブログをいろいろいじっています(1)

ブログをいろいろいじっています(2)
を書きましたが、その直後から動きが出てきました。

ブログをいろいろいじっています(1)
おはようございます 今、このブログを少しずつ修正しています。 というより、いろいろいじってるという方が合ってるかも。 思い切って修正! 以...
ブログをいろいろいじっています(2)
こんにちは ブログをいろいろいじっています (1) の続き。 このブログを少しずつ修正しています。 新しいことにも...

といっても、私自身の在り方に関すること。

それによって、このブログを大幅に変えることになりそうですが、
それはもう少し先の話。

私自身を振り返るお話を書いてみようと思います。
前にも書いた話かもしれませんがご容赦ください。

選択が私を創ってきた

さて。
今回、セルフマッピングで振り返ってみました。
そうしたら出てくる言葉のほとんどが、
今までの「自分を知る」作業で出てきたものでした。

なあんだ!ですよ。

今までも振り返ってきてたんだと納得。
「自分を知る」ことがその振り返りだったんです。
ただ、その振り返りをまとめていなかっただけで。

まとめてみて分かったのは
私自身を作ってきたのは、過去の経験を基にしているけれど、
その中で私が「何を選択したのか」ということでした。

同じ経験をしていても、
そこから何を選択するかはその人次第だと思うのですが

その選択こそが「私」を創ってきたんだなと。

いたずら電話でショックを受ける

私、子供の頃は父が怖くて好きじゃありませんでした。
よく叱られていたし、
監視されているように感じていましたから。

叱られて、怖いのと腹立たしいのとで
「私、死んだほうがいいのかな…」
なんて考えたこともありました。

でも、ほんの一瞬だけ!
すぐに「そんなことで死ぬなんてバカらしい!」
と思う子供でした。

そんな私が、中学校に入る前のこと。

日中、私しかいない時間を見計らって
ある女性がこんな電話をかけてきました。

「あのねぇ、あなたは今のお父さんの子供じゃないのよ。
本当のお父さんは○○っていう、お母さんの職場の人よ
(同じ学年の子のお父さんでもある)」

ショックを受けました…。まぁ当然ですが。

両親に言えるはずもなく、2〜3日悩みました。
(たった2〜3日かい、ですが笑)

そして私なりの結論として
「本当のお父さんじゃなかったとしてもいい。
ここまで私を大切に育ててくれたんだから」

と自分で納得しました。
言い聞かせた、と言う方が合ってるかも知れません。

もし、その人からまた電話がかかってきたとしても
「私は実の父親であろうとなかろうと関係ない」
と言ってやろうと心に決めていました。

再度、電話が…

が、その機会はすぐにはやって来ず。
次に来たのは、なんと大学受験の前。

名前を名乗ったわけではないのに、
前回と同じ人だとなぜか確信していました。

前と同じ調子で話し始めたので
「あの〜、どなたかは知りませんけどね。
別に母が浮氣してようが、実の父親じゃなかろうが、
そんなことどうでもいいんです。

第一、お宅に関係ないことでしょう。
名乗りもしないでそんなことを言ってるあなたは何者なんですか?
名乗りなさいよ!」

と逆襲(一言一句まで覚えてませんが、こんな感じ)。

件の女性は、もごもごと言って電話を切りました。

「勝った…」
…いや、勝ち負けなんてないですけどね。

学校外の部活として行っていた乗馬クラブで
一般会員の大人と接することが多く、
世の中の見方が分かり始めてきた時期でもあったので、
子供の頃のショックも薄れてきていました。
ある意味、大人の汚さにも慣れてきた頃でしたから。

意を決して、母にこの一連の出来事を話してみると
「もしかしたら、◎◎ちゃんのお母さんかもよ」とのこと。
あっけらかんとしたものでした。

真相はどうかはわかりませんが、
母曰く、陰口ばかり言う相手なので付き合わなかったようなのです。

そして、自分の子供可愛さに、
受験シーズンに他の子供の不安を煽るようなことを
言ったのではないか、とのこと。

まぁ、大学受験の頃の話は余談です。
ちなみに、件のお母さんの目論見通りか、浪人しました(笑)

あの時の選択が私を創ったと実感

とにかく、何の選択肢が正しいか、なんてことはわかりません。
その時も、そして今も。

  • 両親に話す、もしくは母に話す
  • ひたすら黙って苦しみに耐える
  • 黙って調べて回る
  • 考えないようにする
  • 爆発する
    などなど。

私はその時その内の一つを自分で選択した、ということが事実です。

今であればDNA鑑定だ、なんだかんだとありますが
それができる今でも、
私はそんなことはどうでもいいと思っています。

あくまで私の場合ですよ。
(なので、生物学的に本当の父親かどうかはわかりません笑)

でも、私が「この人は私の父だ」と認めていたら、
それでいいということ。

この選択の仕方、普段は忘れがちなのですが、
何かの拍子に思い出します。

そして、この時のことを思い出すのです。

私、自分で決めたんだったなって。

まだ振り返りは続く

自分を知って、自分の選択に責任を持つ。
あるいは、自分の選択に自信を持つ。
根拠なんて無くてもいいし、あってもいい。

これは、私がここ何年もずっと、
自分に言い聞かせている言葉でもあります。

だからブログにも書いているわけです。

「知ること」は、知っていることと知らないことを
はっきりと浮かび上がらせます。

わからないことが出てくると、また知りたくなる。

知ってしまって幻滅することもありますが
知った上で「自分がどう選択して、どう行動するか」
そこからまた、選ぶことができる。

私の原点はやっぱりここにあるんだなぁと感じています。

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