先に死んだものから学べ

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
Aihal-Sophia【アイハルソフィア】いがまゆみ です

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死とは恐ろしいものでしょうか?

とてもセンシティブな内容なので
なかなか触れてはきませんでした。

いまでも戸惑いはありますが
先月見たドキュメンタリーがそういう内容だったので
ここでシェアしようと思います。

案外と「死」は身近だったことを思い出す

実は子供の頃から「死」にまつわることは身近でした。
なにしろ、家のすぐ後ろが火葬場でしたから。

死ぬ瞬間を見るわけではありませんが
家の横を葬儀社の車が通るのを見るたびに
亡くなると火葬するんだな、と理解していました。

飼っていたインコや鶏、犬や猫が死ぬのも見ています。
可愛がっていた動物が死んでいくのはやはり悲しいです。
ですが、その死を恐ろしいとは思ったことはありませんでした。

ただ、身内の「死」だけは特別だったようで…
父方の祖父が亡くなった時、私は高校生でした。

臨終には立ち会いませんでしたが
通夜の席でなぜか月面に一人でいるようなイメージと孤独感を味わって
読経の間中、ずっと涙が止まらなかったことを思い出します。

離れて住んでいたし、盆暮れ彼岸くらいしか会わない祖父で
そんなに話をしたことがなかったにもかかわらず、です。
人の死、身内の死だったからかもしれません。

父の看取りで学んだこと

今でも私は「死」が恐ろしいとは思っていません。

自分が死んでしまうことでやり残したことがでてしまうとか、
夫に死なれてしまっては寂しいとか、
そういう意味ではまだ「死」に近寄って欲しくないとは思いますが、
「死」そのものを、訳がわからないものとして怖がってはいないのです。

私にとって「死」とは肉体から脱け出ること。
この世というチャレンジゲームの世界から上がる、と考えています。
スピリチュアルな考えが入っているのは確かですが
私はそう考えるとしっくりくるので、それでいいんです。

父に重篤な病氣が見つかり、
半年以内にはまちがいなく死を迎えるだろうというのがわかったとき、
私はこの経験でとてつもなく大きなものを学ぶんだなと思っていました。

「死」とはどういうものか
当人はどう受け止めるのか、
私を含めた家族はどう受け止め、どのように接するのか

母を手伝っての父の介護、
主に介護を担う母へのいたわりを通して
それらを自分の内側に刻んでいきました。
時々は私の感情が爆発することもありましたが。

その経験の中で
私の死生観がカチッとはまったような氣がします。
これがものすごく大きかった。

親が死んでいく姿を克明に見続けることが
私の中でとても大きな学びで、
そのおかげで、死生観を育てることができたと思っています。

今回見たドキュメンタリー

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92935/2935010/index.html?c=archives

「ありのままの最期 末期がんの”看取(みと)り医師” 死までの450日」

死にゆく人がどのように経過をたどっていくのか、
家族はどんなふうに彼を支えていったのか、
それを目の当たりに見せてくれた内容でした。

私の3年前の経験を追体験するような内容で
ご家族の氣持ち、当人の氣持ちをなぞるような氣持ちで見ていました。

先に死んだものから学べ

死生観とは、死を通して生を観ることです。

今回のドキュメンタリーでは僧侶の方の死を扱っていました。
宗教によリどころがある方でも自身の死は恐ろしいし、
今年お亡くなりになった日野原重明さんも
亡くなる前の撮影では「恐ろしい」と口にしていました。

けれど、お二人とも
その氣持ちを持った上で周りの人に感謝を伝えていました。
無理をしているわけではなく、
感謝の言葉でお別れをしているような感じでした。

父もそうでした。

それらを見て、実感したから
より良く生きたい!という氣持ちになっています。

「より良く」には人それぞれの価値観が映し出されますが
私は自分の納得がいくような生き方をしようと思っています。
そして少しずつ実践しています。

これは「先に死んだものから学べ」の一つの形です。
私とあなたが違うように
人それぞれの「学び」があるはず。

あなたはいかがですか?

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