約1年前に氣になって保存していた
やすらぎの部屋 美保さんのブログのメッセージ
今はもう削除されている内容ですが。
今、見返してみると
内容が、いっそう私に迫ってきます。
自分の中のほんの少しのずるい氣持ち、
打算的な考えをそのままにしないように。そして、これくらいなら
常識的に許される範囲だとか
悪氣はなかったのだからとか
相手もいいと言ってくれているからとか
自分の氣持ちには正直であった方がいいなどという
自分勝手な理屈でそれを肯定しないことです。自分のエゴの奴隷にならないように。
自分の感情に振り回されないように。自分を抑圧することと
自分に忍耐や我慢を学ばせることとは違います。http://alchemia.exblog.jp 「守護天使たちとの暮らし方」より
ついついやってしまいがち。
自分に甘い私が
言葉に出さなくても思い浮かべてしまう
甘くて苦いささやき声。
清廉潔白に生きるのが理想だけれど
そう出来ないときの言い訳として使いたがるフレーズの数々。
甘い自分を嫌うんじゃなくて
自分を律していきたいと思うだけ。
誰のためでもなく、自分のために。
制限があるからこそ、自由の意味がわかるし
その自由が素晴らしいものだと実感できる。
それは何度も思ってきたし、今も変わらず思うこと。
自由は制限とともにある。
それは対立するものではなくて補完するもの。
すべてのものがニュートラルなのかもしれない。
絶対◯◯とよく言ってしまうけれど
絶対のものなんて、本当はありえないのかも。
すべては移ろっていき、姿を変えていく。
本質はニュートラルを包含したまま。
そのさじ加減が実はとっても重要なのだと思う。
ちょっと詩的な表現になりましたが、こんなことも感じています。
最近、詩にも興味が出て来ました。
論理的に説明する硬い言葉や言い回しだけでなく、
比喩や隠喩を使った表現をもっと使えるようになりたくて。
柔らかくて強いココロでいたいですね。