昨日のエントリの別視点での考えです。
「ホントかな?」が持つ、もっと深い意味に氣づきました。
けれど、使う時は軽やかに!
大人になって言われた「疑問を持ちなさい」の深い意味
オーラソーマ、マイク・ブース学長がコース中に言った言葉。
「疑問を持ちなさい。あなたの内側に」
自分の考えていること
自分の感じていること
自分のやっていること
それを「ホントにそれでいいのかな?」と疑問を持ちなさい
という意味に私は受け取りました。
疑問を持つのは悪いことではない、
今を確認するためのもの。
その時はそう受け止めました。
ただ、今振り返ってみると
その時は言葉の表面をなぞっただけだったんですね。
疑問を持つのは大切なことです。
ただし、私がその本当の意味を知るには
実に5年の経験が必要だったようです。
「疑問を持つ」視線の向く先は?
私が氣がついたのは、
本当の意味で自分の内側に疑問を持っていなかった、
ということです。
どういうことかといえば、私が疑問を持ったのは、
私の外側で起こっているものごとに対してだったからです。
(あの人は)なんでそんなことを言うんだろう?
どうして(自分に)こんなことが起きているんだろう?
こんなことをしてしまったのは(世間的に)まずかっただろうか?
視線の向いている先は全て自分の外側です。
考えたり、感じたり、やっていることを振り返ったりしても
自分の外側で起こったものごとに対しての
思考・感情・行動への疑問で
自分以外の誰かの評価や反応を意識していました。
もちろんこれも必要なんです。
とても大切なことではあるんですが
マイクさんが言ったことの本質は、もっと奥にあったと氣づきました。
それは、
今、自分が考えていること
今、自分が感じていること
今、自分がやっていること
これらが、本当に自分の望んでいることなのか?について
疑問を持ちなさいってことなんじゃないかと。
視線の向く先は、さっきの例とはまるで違いますよね。
自分の内側を向いています。
これが本当にマイクさんの言いたかった
「疑問を持ちなさい。あなたの内側に」
だったと、確信しています。
「疑問を持つ」ことは美意識を意識するからこそ
この「ホントかな?」は
先日来エントリにあげている「美意識」につながると感じています。
どんな自分でいたいのか、
どんな考え方をして、感情を持って、行動していくのか。
自分の理想というか、こう在りたいと思う自分をイメージして
それに「今の自分」が沿っているのかをチェックする機能としての
「疑問を持ちなさい」
なのかなと、ふと感じたんです。
それは「自分を疑え!信用するな!」という強烈な意味ではなくて
「ホントかな?なんかズレてない?」という氣軽な氣持ちで
常に自分を律していくやり方なんじゃないかなと考えています。
自分自身の本当の望みにコミットする(約束する、積極的に関わる)
ためのファーストステップかもしれません。