最近、過去記事をたどってるんです。
ネタがないわけでもないんですが、
過去記事自体もネタの宝庫(笑)
同じことを考えている場合もあるし
より考え方が変わっていることもあるし。
というわけで
今回取り上げるのは3年前のエントリ。
「思い込み」について書いています。
当時は、思い込みというフィルターを外そう!と
思い込んでいましたねぇ(笑)
今は、このフィルターは外すんじゃなくて
フィルターを通して見ていると「氣づく」のが大事だし、
やりやすいことだなと思ってます。
このフィルターはかけ替えられます。
が、外れません。
よっぽどのことがないと…
と、私は思ってます。
まぁ、私の体験なんですけどね。
外れた!と思っても
別のフィルターに置き換わってる場合がほとんど。
そんな経験が続くと
「あれ?これもフィルターなんじゃ?」
と氣づいてきます。
つまり、自分の考え、
それ自体が「フィルター」なんだとわかります。
もしくは何も考えていないことが
フィルターに囚われた結果ということはよくあります。
Facebookでこんな記事を見つけました。
現代ビジネスプレミアムの記事で
大前 治弁護士が執筆しています。
大勢が避難するとしたら
日本ではかならず学校の体育館になります。
プライバシーが保てずに辛そうだと思いながらも
そこへ避難するものだと思い込んでいました。
ところが、世界的に見ると
その状態は劣悪なのだそう。
このことについて
明日も考えてみようと思っています。