必ずフィルターがかかっている〜私たちが意識しておくこと

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
Aihal-Sophia【アイハルソフィア】いがまゆみ です

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おはようございます

最近のニュース、報道を目にすると
心を締めつけられるような出来事だったり
なぜそうなるのか!と憤るようなことばかりです。

個々のニュース、報道をどうこういうつもりはありませんが
私達の側で意識しておくことがあるなと思います。

報道は生の情報ではない

私達は情報の海の中にいる、
という言い方を聞いたことがありませんか?

自分の身の周りで起きている出来事だけでなく、
私達は世界中の出来事を知ることができます。

それは知りたい、知りたくないに関わらず、
私達の生活になだれ込んできているのが現状でしょう。

そんなあふれる情報の中で、
自分が直接関わっているものがいくつあるでしょうか。

おそらく、いくつもないのでは?
もしかしたら一つもない場合もあるかもしれません。

私達が目にしたり耳にしたりする出来事のほとんどは、
誰かを介してやってくるのです。

その時点で「生の情報」ではありません。
必ず誰かのフィルターを通ってやってくるのです。

フィルターは避けられない

このブログで私が書いていることも、
「私、伊賀真由美」のフィルターを通しているものです。

一般的には「その人の考え方」と言いますね。
この考え方の基になっているのが
「フィルター、前提」だと思ってください。

同じ出来事や物を見ても、前提が違えば全く別の見解が出てきます。

その差が小さければ「ん?」という違和感くらいで済みますが、
差が大きければ「受け入れられない!」ということもあると思います。

このフィルター、外せるんでしょうか?

私は、このフィルターは、
人と関わる限り外せるものではないと思っています。

事実だけを伝えることはできるでしょう。
けれど、そこに何かしら意見をくっつけたいと思ってしまう。

そして、私達はそのくっつけた意見を「聞きたい」のだと思うのです。

だからコメンテーターという立ち位置があるわけですし、
氣の利いたコメントを言う人がもてはやされるわけです。
私も、そこを喜んでいる部分がありますし。

一歩引いて見聞きすると?

飽くまで私の意見、フィルターを通して見ることですが。

フィルターを外せないなら、外さなくていいんだと思うんです。

以前はフィルターを外そう!と躍起になっていました。
その方が公平でフラットな物の見方ができると思っていたからです。

ところがです。

私が「フィルターを外した」と思っていた状態ですら
「フィルターを外した状態の方がいい」という
フィルターが掛かっていることに氣がついてしまいました。

まるでお釈迦様の手のひらで飛び回っていた孫悟空状態。
出られないわけです。

「では、どうするか?」

誰しもフィルターを外せないなら
「必ずフィルターを通している」ということを
意識していることが大事なのだと思いました。

つまり、
今、見たことや聞いたことを
「別の見方はあるのかな?」というふうに
一歩引いて見聞きしてみる姿勢を持つことだと思うのです。

さいごに

自分が何をどう感じているのか?

そのことをもっと感じてみて欲しいと、
このブログでは何回か書いてきました。

他の人のフィルターが掛かっている、ということを意識していると
この「自分が何をどう感じているのか?」を
もっと感じられるかなあと思っています。

あなたの意見も
私の意見も
どちらも「ある」のだということ。

それを「受け入れられるかどうか」はまた別問題。

まずは情報を見聞きしたときに
「別の見方はあるのかな?」
「自分が何をどう感じているのか?」
を意識してみることをオススメします。

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