昨年末くらいからいろいろなことが動き出しましたが
それに伴って、自分の氣持ちが大きく揺れ動く体験を数多くしています。
多少の揺れなら氣にすることもないのですが
つねに「私はどうしたいのか」を
他の人を通して見せてもらっている感じがしていて
日々考え続けています。
「未知への怖れ」は単なる妄想
初めて体験するコト、初めて踏み出す道。
今まで経験したことがないことをやろうとすると
必ずと言っていいほど、
「できない!無理!」という言葉に出くわします。
この言葉をどれほどの氣持ちで言っているのか、ということを
改めて考える機会がありました。
…人それぞれなんですよね。
口ぐせのように「軽いノリ」で「ムリムリ〜!できっこないよ〜」
という人もあれば、
本氣も本氣、「そんなことは世間が許しませんから!」くらいの
妙なキッパリ感で口にする人もいます。
私も、その場のノリで「ムリムリ〜!」と言っていた時期がありました。
その場の空氣感を壊したくなかったし、
なにより「暑苦しいヤツ」と思われたくなかったから。
ですが、
そんな「できない」という自分に違和感をずっとずっと持っていました。
やりたくてイメージしたことじゃなかったのか?
理想かもしれないけど、それが実現したら本当に嬉しいんじゃないのか?
そんなふうに、自分が望む「方向性」を見ていったら
やらない理由は出てきませんでした。
3年前にアメブロに書いたことがありますが
「できない」という不安は妄想でしかないんです。
現実になっていないことですから。
だとしたら、
まずやれることからやっていく。
そこに否定のエネルギーはいらないし、
自分から否定のエネルギーを取り込むことも必要ないと思いました。
自分は「何を」形にしたいのかを、感じていますか?
先日の「呪い」をかけていませんか?のエントリにも通じるところがあります。
不安を形にしたいのか?
それとも、
喜びを形にしたいのか?
自分にはできない、ムリ、と思って口にしていれば
「できない」現実を形作ることになります。
量子物理学でも言われているように
「意識」がすべてを作り出しているのだとすると、
「できない意識」は、「できない現実」を作り出します。
これは、世の中を見渡してみてもよくわかりますが
やらなければ形にならない、んですね。
「できない」と思いながらイヤイヤやっていると、
出来損ないしかできないのはそういうことです。
もしくは、ある程度出来ても満足感が薄い。
「できない」と思いながらやっていても、
ふっと
「ん?もしかしたらできるかも?」と
希望を持ち始めるときがあります。
その時は、たとえ出来損ないができたとしても、
意識が変わっているので、改善点を見つけ出します。
「次はこうしたら、もっと上手くいくかも!」
こんなちょっとした喜びを見つけ出すのが
私たちは大好きなはずなんですが、
それを最初から放り出すのは、もったいない氣がします。
だから私は「不安を形にする」のはやめました。
自分が思う「喜び」を形にしたいですからね。
「やらない理由、やれない理由」のその奥にあるもの
やらない理由、やれない理由は、無意識のうちに
自分に染み込ませている場合があります。
あまりにも長い間使ってきたパターンなので
簡単に表に出てきてしまうし、
使い慣れているから、「本当の自分である」と思い込んでいました。
例えば。
これは以前、勤めていたときのこと。
本当は料理をするのが苦手なんですが、
「私は『仕事が忙しくて』料理をする時間がない」
「仕事をして『頑張っている』から、やれなくても仕方がない」
「私だって『本氣出せば』ちゃんと美味しい料理が作れる」
と、思い込んでいました。
ですが、自宅で仕事をするようになって
自分の裁量であれこれできるはずなのに、料理をしないんです(笑)
そりゃそうですよね、本当は「料理が苦手」なんですから。
料理が苦手だから、やりたくない。
その言い訳に都合よく「仕事」を使っていただけなんです。
出来ない自分を認めたくないから、
向き合わなくて済む理由をいろいろかき集めていただけ。
結論。
認めちゃった方がラクでした。
「私は料理が苦手なんだよ!!!」
料理をするのは嫌いじゃないけど、献立を考えるのが面倒。
美味しいものは食べたいけど、毎日のルーティンに縛られるのが辛い。
だとしたら、自分のやりやすいやり方を見つけるのが手っ取り早い。
ざっくりと「苦手」でくくってしまわずに、
「なぜ」「どうして」苦手なのかを見ていかないと
「どうやったらラクにできるか」は見えてきません。
まだまだ試行錯誤中ですが
ちょっとでも苦手意識がラクになったときの「喜び」がご褒美。
今日やったことが、1週間後、1ヶ月後、
はたまたこれからの人生をラクにするなら、やらない手はありません。
どんなことも「自分がどうしたいか」に尽きる!
他にもダメダメなところは満載なんですが、
なかなかどうして、そんな自分が面白いです。
そのダメダメだと思い込んできたところは、
実は、自分らしさを見つけるためのきっかけでした。
私は食物アレルギーを持っていて
リンゴや桃を生で食べるとアレルギー症状が出ます。
30年ほど前は、果物のアレルギーは一般的にはあまり知られていませんでした。
なので嫌な症状ではあったんですが、
同時に「個性的」にも感じられて、私自身は面白がっていました。
どうやったら症状が出ずに食べられるんだろう?
どれくらいなら食べても影響がないんだろう?
もしかしたら、体質が変わっているかも?
そんなことを思いながら、
いろいろなことを年月をかけて試しました。
今では、体調にもよりますが
生は一切れくらいなら美味しく食べられます。
加熱してあれば問題なく食べられます。
症状が嫌なら、食べなければいい。
その選択もありです。
私もずっとそうしてきました。
でも、食べたい!
そう思ったから、工夫してたどり着きました。
このモチベーションが大切なんだと思います。
ほんのささいなことかもしれないけど、
「自分がどうしたいのか」を一つ一つ丁寧に見ていくのが
自分の満足感につながっていくし、
「自分を大切にする、大切に扱う」のだと思っています。
誰のせいにもしない。
自分の思いを自分で汲み取る。
そこが今、私にとってとっても「大事なコト」です。