「何をするのか」ではなく「どのようにするのか」が大事

シェアありがとうございます!

岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
Aihal-Sophia【アイハルソフィア】いがまゆみ です

■ お知らせ ■ *日曜セッション会@アイーナ
  9月13日,10月 4,11,18日 
  施設の場所予約の関係上,10日前までにはご予約ください
  ➡ ご予約はこちら

*開催イベント
 「緑のおくりもの」➡  お知らせはこちら
  詳細はお知らせでご覧ください

*お問い合わせもお気軽にどうぞ! ➡こちら

【この記事は約 5 分で読めます】

同じようなことを何度も書いている氣がしますが、
私がその都度大事だな〜と
感じることを書きたいのでいいんです。

書きます。
ちと長文です。


言葉の私的解釈

タイトルの
「何をするのか」ではなく「どのようにするのか」
さまざまなシーンで言われている言葉だと思います。

オーラソーマでもマイク・ブース学長のコースで
何度となく聞いたフレーズです。

言葉やフレーズって、聞いた時に
「あぁ、なるほど!そうだよね!」と思っても
実際のところどういうことなのかを理解するには
自分の身近なものごとに引き寄せてみないと
よくわからない場合が多いです。

自分の感覚や経験を通して理解すると、
一見して別のものごとのように見えても
その底に通じているものを通して
エッセンスを汲み取ることができると感じています。

そういう意味で
タイトルの言葉を私なりに解釈してみたいと思います。

書いてみてわかることがあります


「何をするのか」 What to do

「何をするのか」の「何」には
作業や職業、実際に身体を動かしてする
「行為」そのものが入ります。

お茶を入れる、ギターを弾く、ダンスをする、
教師として働く、肉体労働をする、物を売る等々。

シンプルです。
そして行為自体はそれぞれが別ものですよね。

ですが、その行為自体に
優劣をつけてしまう場合ってあるかもしれません。

作業で言えば
複雑なものを同時にやるのが上で
単純で簡単なことを一つ一つするのを下に見るとか、
仕事で言えば
頭脳労働が上で肉体労働を下に見る風潮とか。
(一般論としてです)


優劣って実際のところ、あるんでしょうか…。

私は、区別はあっても優劣の差は無いと思っています。

何をするかによっては
そこに付属してくるものは変化しますが
(難易度や対価、印象など)、
作業や職業という大きなカテゴリに立ち返ると、
本質的にその差をつける必要もなくなります。

そう考えると
「何を選んでも差は無い」ということになるのでは?


「どのようにするのか」 How to do

では「どのようにするのか」
どう考えたらいいのでしょうか?

比較というのは、
別々の作業や職業などでは複雑になってしまいます。
とすれば、同一の作業、
あるいは職業の中で比較するのがわかりやすいです。


例を挙げてみましょう。
あまり問題が出ない事例で(笑)


お茶を入れるとします。

例えば家で、
そこらへんに買ってあったお茶っぱを急須にざっと入れて、
ポットのお湯を無造作にジャブジャブ入れて、
湯飲みに適当にジャーッと注ぐ。
いっちょあがり(A)。

一方、同じお茶っぱ、急須、ポットのお湯を使ったとして、
それらの美味しさを引き出すやり方を知って、
その方法に準じてお茶を入れたとします(B)。

このAとBのお茶、味がまったく違います。
同じ材料を使っても得られる結果がまるで違う、
というのは日常でもよく見られることではないでしょうか。


何が違うのか?

「何に意識を向けているか」ではないでしょうか。

もちろんTPOによってどちらを選んでもいいんですよ。

「今日はていねいに美味しいお茶を入れて飲もう(B)」も
「自分用だし時間がないからいいや(A)」もありです。

もしもBのやり方を知らなければ、
Aのみを唯一の方法と思い込んでいる場合もあります。

それは「お茶を入れる」という行為しか見ていない状態かな。
湯飲みに入れた時に色がついてればOKとかです。
味の細やかさは見た目で判断つきにくいですし。
現に今、私はそんなお茶を飲んでいます(笑)


さて。
意識を向ける理由がつくとHow to do になると感じています。

『美味しく』お茶をいれたいのか、
『とりあえず』飲めればいいのか、
その目的によって行為の質が変わってきます。

それが「どのようにするのか」だと思うんです。


「どのようにするのか」を意識するマゼンタの「配慮」

私としてはですね、
What to do は何を選んでもいいと思っています。

ほんとに何をしてもいいんだと思うんですよね。
その時できることをしたらいいし、
やりたいことがあったら挑戦したらいいんです。


そして、
その選んだことを文字通り「どのようにするのか」が大事。

無意識に単に行為するのか、
何かの意識を向けて行為するのかで
結果が変わってきます。

自分だけのためだとしても
無造作にするのか、自分を大事に扱うのかで
満足感という結果も変わってくるじゃないですか。


この「意識を向ける」というのが「配慮」。


マゼンタの色の言葉の中に
「小さきものへの愛」とありますが、
配慮とはまさにそれ。

氣が利く人だけに限らず、
「(何かに)意識を向けている自分に氣づく」のが
マゼンタの一つの側面だと感じています。

マゼンタは新しく誕生したボトルB116の下層の色。
今、配慮をベースとする必要があるんだろうなと思っています。
(配慮は、空気を読むとか忖度とも違うはず!)

B116 女王マブ


タイトルから書き出したときは、
ここに行き着くとは思ってもみませんでした!

ですが、確かにマイク学長もコースの中で、
この言葉とマゼンタを結びつけていましたね。
今思い出しましたよ〜


こんな風につらつらと
色と言葉を私なりに解釈していくつもりです。
思いついた時に。
無理すると続かないので(笑)

スポンサーリンク
レクタングル広告(大)