このエントリは2015年11月にアップしたものを加筆修正しています。
下記のエントリで読書中だった西村佳哲さんの本。
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今日は読了した「自分をいかして生きる」について
私が感じたことを書いてみたいと思います。
「自分をいかして生きる」で惹かれたところ
「自分をいかして生きる」は、前著の「自分の仕事をつくる」の続編のようなものでした。
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私が前に勤めていた検査業務を辞めたもともとのきっかけというのが
「仕事にどう向き合うのか」というものでした。
なので「自分の仕事をつくる」からとてもいい刺激を受けました。
そして、その続編のような「自分をいかして生きる」は
その人の生き方が仕事に現れる、こころのありようまで触れていて
とても興味深いものでした。
その中でも私が興味を惹かれたのは
「人づきあい・自分づきあい」123pの部分です。
自分づきあいとは?
「人づきあい・自分づきあい」から一部を引用します。
コミュニケーションという言葉は一般的に、異なる人間同士の間で
交わされるやりとりを指す。<自分>と<他者>。しかしそれと同時に、<自分>と<自分自身>のコミュニケーションが
あるんじゃないか。たとえば、しばしば語られる「自分を大切に」といった言葉の
「自分」は、どこまでのことを含むのか?
またその「自分」を、どこまで大切に扱っていいのだろう?自分対他者という図式の中では、その片方を大切にすると、
残りのもう片方を大切にしきれないという状況も生じかねない。
他人の都合に合わせて自分が疲れてしまったり、自分の氣持ちを
大事にするあまり他人を疎かにしてしまったり。その自分を、<自分>と<自分自身>に分けて考えると、
このジレンマは解消される。
<自分自身>も<他者>もどちらも大切で、
<自分>はその間で双方の調和や調停をとるのが仕事である、
という図式になる。西村佳哲「自分をいかして生きる」ちくま文庫より引用
これは私にとって、とてもわかりやすい説明でした。
というのも、私のやっている方法もこれとほぼ同じだからなのです。
人づきあいはイメージしやすいですが、自分づきあいというのは
自分自身を知っている、もしくは知ろうとしていないとできません。
私は<自分自身>に意識を向けるのを「自分づきあい」と理解しています。
「私は今どうしたいのか?」
「私は今何を感じているのか?」
「私は今何を考えているのか?」
<自分>を観察するんです。
わかってきたことを基にして自分を心地よくする努力をする。
それが「自分づきあい」でしょうね。
そうすると次に、
「あの人は今、どうしたいのだろう?」
「あの人は今、何を感じているのだろう?」
「あの人は今、何を考えているのだろう?」
このように、人に対しても想像力をぐんと使えるようになってきます。
このブログで何度も書いてきたことが
この本にはわかりやすく表現されていました。
自分と他者のどちらも大切
引用の中に
「<自分自身>も<他者>もどちらも大切」
という部分があります。
私はここにも興味を惹かれました。
他の人を思いやることと自分を大切にすることを
天秤に乗せてしまう癖、ありませんか?
私にはあります。
一方を重くすると、他方が軽くなる。
二つに一つしかなくて、両立できないような氣がしていました。
ところが、この西村さんの見方では
「どちらも大切」
そう、選ばなくていいんです。
どちらも大切にしていい。
そして、どちらも大切にするにはどうするか。
それを<自分>で調整していいのだいうことです。
これは私にとっては、目が醒めるような言葉でした。
私自身も同じことをやっていますが
こんな意識ではやっていませんでした。
改めて「自分で調整していい」と思ってみると
ものすごく氣持ちが軽くなりました。
ホッとした、と言ってもいいかもしれません。
どちらも大切にしていいんだ。
相手も自分も大切にしていい。
私自身もよくその言葉を口にしてはいましたが、
言葉が実感を持った瞬間でした。
どちらも大切に扱うことで見えてくるもの
「どちらも大切」が実感を伴ってわかるようになると
自分と他者との間の「境界線」がはっきりしてきた理由が
わかるようになりました。
どちらも大切にするからこそ
「どこまでなら歩み寄れるか」
「どうしたらお互いに心地よく居られるか」
をより考えるようになっていくのだと思うのです。
セラピストとして重要なのが
「境界線~バウンダリー」だとはよく言われます。
これは、セラピストだから重要なのではなくて
人とのコミュニケーションを取る上で誰にでも言えるのが
この「境界線」であり「どちらも大切」だと思っています。
自分のために「自分も相手も大切にし」、
相手のために「相手も自分も大切にする」。
どちらが上でも下でもない、フラット、水平な関係性を作るのが
大切なのかもしれません。