NHKのドキュメンタリーをよく観ます。
直接、放映時間に観るというよりは
氣になる番組を録画しておいて
後からゆっくり観るというスタイルです。
今回の番組はタイトルが氣になりました。
「写真は小さな声である〜ユージン・スミスの水俣〜」
ユージン・スミスという人は知らないけれど
「水俣」に惹かれて録画したようなものです。
1年前にこんなエントリを書いています。
その中で私はこう書いています。
「本当はどういうことが起こっていたのだろう?」
私はどれだけ本当にあったことを知っているのだろう?
その出来事を、今の私はどうとらえるのだろう?いろいろな本を読んだり、ドキュメンタリーを見たりして思うのは
やっぱり「知る」ことだと思うのです。
子供の頃に見た絵や写真が脳裏に残っていて
今、それを思い出すことが続いています。
今回のドキュメンタリーを観て氣づいたのは
私は、ユージン・スミスという人は知らなかったけれど
彼の撮影した写真を印象深く覚えている、ということ。
「水俣」のキーワードが私に迫って来たのは
一昨年の9月に放映していた
100分de名著「石牟礼道子『苦海浄土』」からです。
石牟礼道子の名前は知っていても
苦海浄土を読んだこともなかったし、
水俣病に苦しんだ人々を書いたものとは知りませんでした。
たまたま観た番組の予告で
水俣病を扱った苦海浄土という言葉に惹かれ、
放映を4週に渡って観て、テキストも買って読みました。
その時に思い出していたのが
水俣病の記事が載った本と、数枚のある写真でした。
おそらく中学生の頃だったと思います。
蘇ってくる光景が中学校の図書館の一角なので。
当時、胎児性水俣病の娘とその母親を撮影した写真を見て
大きな衝撃を受けました。
怖いとか恐ろしいとかではなく
その事実を切り取った写真のインパクトの衝撃です。
今回のドキュメンタリーを観て
あの時に私が衝撃を受けた写真を再び目にしました。
写真集「MINAMATA」に収められている写真。
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胎児性水俣病患者の上村智子さんの手のアップと
智子さんを抱えてお風呂に入るお母さんの写真です。
子供の頃は、ただただ衝撃を受けて
自分の身の回りに起こりうることだとわかっても
その本当のところは実感できていませんでした。
私が育った新潟の北部でも、熊本の水俣と同じく
メチル水銀による新潟水俣病が起こっていて
他人事ではなかったにも関わらずです。
東日本大震災やそれに伴う人災があり、
その影響を調べる仕事の経験もした今、
当時、ユージンの写真から受けた衝撃よりも
今はその奥に秘められている当事者の想いに意識が向きます。
私は写真を撮るのは得意ではないので
想いの乗った写真を撮る、というのはできませんが
それを見て「感じる」ことはできます。
その「感じた」想いを自分なりに咀嚼し、
「こういう事例を繰り返さないために」を考えて
行動に移すのが、当事者ではない私がやること。
そんなことを思って見ていました。
上村智子さんのお父さんがドキュメンタリーの取材を受けて
こんなことをおっしゃっていました。
水俣の患者さん全てが亡くなった時点で
「水俣病は終わった」と出るんじゃないかな。患者さんがいないし、その家族もとなれば
「終わった」と。でも、歴史に残りますからね。
今あなたたちがこうして取材しているこれも残りますよ。それがつながりじゃないんですか。
私はそう思う。
つい喉元過ぎれば忘れてしまう私たちが
記憶にとどめて、伝えていくには
「知る」必要があります。
そして「知っただけ」ではなく
自分はどう感じるのか、を意識して行動する。
それが上村さんの言う「つながり」だと思っています。
ユージンが写真集「MINAMATA」に遺した言葉。
写真はせいぜい小さな声に過ぎない
しかし ときたま ほんのときたま
1枚の写真がわれわれの意識を呼び覚すことができる写真は小さな声だ
私の生活の重要な声である私は写真を信じている
写真はときには物を言うそれが私 そしてアイリーンが 水俣で写真をとる理由である
今回のドキュメンタリーで
35年経って見たユージンの写真から
私は意識を呼び覚まされました。
そして問われています。
あなたは「今」これをどう観るのですか?
その回答を試行錯誤していく日々が続きます。