最近、石井ゆかりさんのブログを読んでいます。
星占いなどの文章を読んでいて感じますが
私はあの「石井ゆかりの語り口」が好きです。
それは占星術に限ったことではなくて
石井さんのフィルターを通して出てくる言葉のつながりが好きなのです。
石井ゆかりさんのセンスに憧れる
今回読んだエントリの中では
TOKYO FMの施設内で元AKBの高橋みなみさんが
すれ違いざまに石井ゆかりさんに笑顔で会釈をしたときのことが書いてあります。
内容は石井さんのブログを直接読んでもらうとして、
私はその出来事の表現に魅了されました。
石井ゆかりさんの頭の中が覗けるわけではないですが
「こんなことを考えているんだ…」
というのを垣間見ることができる文章だと思います。
もちろん、ライター、文筆家なので
練り上げられた文章なのはわかっていますが
さらっと、でもすごくスッキリとわかりやすく言葉を使う
石井さんのセンスに憧れます。
憧れから自己卑下までの経過(1)
で。
ここからが、私のエントリの本題。
今までの私なら、そんな石井さんの文章を読んで、
「憧れるなぁ…。でも、私にはそんなセンスないから無理。」とか、
「やってみたけど、やっぱりそんなふうには書けなかった…。」なんて、
1、2回やってみて諦めてました。
これ、
すっごくすっごくおこがましい話ではあるんですが、
なんと、無意識に「私」とあの「石井ゆかり」を同列に置いてるんです。
びっくりしません?
笑えますけど。
石井さんが積み重ねてきた努力なんて、全く想像すらしないでいて
これまた大して努力をしたこともない私の文章を「同列」に並べるなんて。
石井さんに憧れているなら、真似てみよう。
毎日文章を書き続けている、そのスタイルを少しでも体験してみよう。
石井さんの言葉の使い方にもっと意識を注いで文章を読んでみよう。
そんなことをち〜〜〜〜っともやりもしないでいて、
自分の能力を「才能ない。こんなもん」と見限るのは、
実は、自分自身にとってすごく失礼なことをしてきたんだ、と氣づきました。
同列に置いたことは笑えても、これは笑いごとではなかったなと…。
憧れから自己卑下までの経過(2)
で。
これは石井ゆかりさんに限った話ではないのです。
身近なところで、うらやましいと思ったり、いいなぁと思ったりしたときも
同じようなことを繰り返して来ました。
この「自分に対して失礼なことをしていた」と氣がつくまでに
私は相当な時間がかかりました。
自分の内側で沸き起こる葛藤に悩みましたし、
同じようなパターンを自分の意識に組みこんでいるので
いろいろな出来事で、そのパターンと葛藤を体験していました。
今までは、
「いいなぁ、うらやましいなぁ」と思うのと、
「こうなりたい、こうしたい」という目標が
薄ぼんやりとしかつながっていなかったんです。
だから、その努力をするための「やり方」とか
「モチベーション」とかに結びつければいいんだと
なんとなくわかってはいてもやらないでいました。
それよりは、
「私にはそんな才能ないから、無理。」
で切っちゃえばラクだったから。
そして、いつまでも
「あの人はいいよねぇ。才能あってさ。」とか、
「ずるいよねぇ、なんで私には才能がないんだろう?」とかの、
「自分、かわいそうなんです」アピールの材料に使っていました。
「自分の人生を取り戻そう」は、私自身のことでもあるんです。
自己卑下から、わずかずつでも脱出するには
さて、ですよ。
自分が「やっていない」のを、嫌でも正面から見つめると
やっていないんだから、今は出来ていなくて当たり前なんだと氣づきます。
その氣づきは、確かに痛い。
マジで痛かったし、吐き氣がするくらい辛かった。
「出来ていない自分」を認めたくなくて、
かわいそうな私アピールをするくらいですからね。
ですが、本当に自分が望むようになりたいのなら答えは一つ。
だったら、やればいい。
とてもシンプルなこと。
そして、できるまで続ければいい。
それも、とてもシンプルなこと。
前を向いて、やって、やり続けるしかない。
やり続けると決めたら、
自分がやり続けられる「やり方」を工夫したらいいんです。
そして、もし続かなかったとしたら
続けられなかった理由を見つめて、工夫して、
またそこから始めればいいんですから。
物事はいつだってシンプル。
複雑にしてしまうのは、私たちのくせに違いありません。
自分で自分を尊重する
つまずくことを、想像以上に恐ろしいものとして設定していると
それ自体を恐れるようになってしまいますが、
実は、「つまずく」ことは「工夫して進歩する」こととセットです。
つまずかなければ、工夫する機会が少ないです。
つまずくのは嫌だけれど、そのつまずきがひらめきと進歩に変わるのなら
それも悪くない、と思いませんか?
工夫しながら続けるって、常に覚悟を試されているようなもの。
「こんなことが起こっても続ける?」
「こんな目にあっても、まだやる?」
その答えがイエスなら、他人の目を氣にしてる場合じゃない。
もし、ノーなら。
やめる決断をしてもいいじゃないですか。
どんな決断をしたとしても、
「これでいい」とあなた自身が静かに思えるなら、それでいいんです。
そんな自分の「内面での対話」を積み重ねていくことが
自分で自分を尊重することだと思うし、
私は、それが「ありのままの自分」を認めることだと思っています。
自分のために「やるべきことをやる」
自分のために、今「やるべき」ことをやろう。
そう決めて、現在に至ります。
自分が「やる」と決めたことを、
誰のためでもなく、自分のためにコツコツと。
そりゃぁ、誰もほめてはくれないです。
自分のためにやってることですから。
でも、そうやってコツコツやってる自分を
一番身近でみて、やっているのを知っているのも自分自身です。
だから、自分で自分をほめてます。
「よくやってるよ!私!」って。
それを積み重ねていけばいいなって思ってます。
もしあなたが、自分で自分をほめるのがむなしいと感じるとしたら、
あなたの心の矢印が外側に向きすぎているのかもしれません。
自分の心を自分で満たすことが
自信を持つことにつながります。
と、自分に言い聞かせる毎日の私です(笑)