2週間もブログをアップしていませんでした〜!!
書きたいことはいろいろあって、
今の私が興味のあることを考えたいとか
心理占星術のこととか
逆にありすぎて、まとまらなくて困っていたところです。
まあ、何かを書こうとすると
ついつい長い文章になってしまうというのもあって…。
少しずつアップしていこうと思っています。
あっという間に日が過ぎる…
そんなに忙しくしていないから、というのもありますが
氣がつくと、もう8月もあと1週間。
私、何してたったっけ?
と冷や汗をかいてしまいます。
時間の感じ方も今までとは違うような氣がしています。
すごく早く過ぎ去っているような…
そう振りかえったとき、
「私、時間に流されて生きてるんじゃないか」
と思うようになりました。
自分の時間を取り戻す
時間を取り戻す、という意図があったわけでもないのですが、
今年も7月26日のマヤ暦新年から新しい手帳を使い始めました。
今までは、毎年ではありませんが、
こよみ屋さんの「13の月の暦」手帳を使っていました。
[amazonjs asin=”B01GMTBP74″ locale=”JP” title=”13の月の暦 手帳(青いスペクトルの嵐の年 2016.7.26〜2017.7.25)”]
マヤ暦については、ネットの情報とこよみ屋さんが出していた
「13の月の暦 ガイドブック」を読んでいるくらい。
なんとなく自分のkinとかを知っているだけのビギナーです。
そんな私が、今年はアメブロ 泉ウタマロさんのブログで見つけた
「マヤの叡智ダイアリー2017」を使い始めています。
由風出版さんのサイトより引用しました
こちらのブログエントリに書かれています
この手帳について騙されたとは思っていません。
むしろ私が疑問に思って放置していたことを
明らかにしてくれたと思っています。
(2018.3.12 追記)
この手帳に書いてあるのが
「じぶんの時間を取り戻す」
本来の時間とは
あなたじしんの感性と直観で感じとるもの
今の私が求めているものにぴったりなんですね。
日常に意識を向ける
マヤ暦の手帳を使ってはいるものの、
日常の意識は依然、今までとそんなに変わりがありません。
そんな中、あまりにも早く過ぎていく時間を前にして
変な焦りを感じていました。
この焦りを手放す方法に何があるだろうか?
そんなことを考え始めていたところでした。
すると、ありました!
それは「日常生活に意識を向ける」ということ。
ただ意識を向けるのではなくて、
日常的にやっている行動を、「意識的に」やる、ということでした。
禅の作務の心得で「今、ここにいる」実感を感じる
禅の作務(さむ)は、日常の掃除などの労務のことで
これらもすべて修行の一環なのです。
するべきことを淡々とこなしながらも、
その一挙手一投足に意識を注いで心を込める。
そうしていると、 いろいろなことに氣づいていきます。
これが「今、ここ」にいて、自分の感性と直観で感じとる良い機会なのです。
たまたま録画していたテレビ番組で見た禅寺の作務の様子から、
「私もやってみよう」と思って始めたら、これがドンピシャ大当たり!
「掃除をする」行為は同じなのに、意識を向けて心を込めてやるのは
やったという充実感、改善点、何をどう感じながらやっていたか、など
そこから得られるものがたくさんあることに氣づきました。
今まで、いかに無為に過ごしてきたかを目の当たりにしました。
そりゃ、時間ばっかり過ぎ去っていくわけです…。
Time is Money からTime is Art へ
日常生活に意識を向けるのは、
私が「やった」行動と
「私がやった」という感覚をすり合わせるためでもあります。
「今日はこんなことをやった、やれた」と感じられれば、
何をやったか思い出せないような毎日にはなりません。
そして、今日やったことを踏まえて
「明日はこうしてみよう」と思うような、
明日につながる一日を過ごしていけるようになると思っています。
というか、そうなっています!
また、一つひとつ、自分がやれたことを積み上げていくこと
自分がやったことを記録していくライフログも再開しました。
これには、たすくま、始めましたのエントリに書いていたアプリ
「たすくま」を使っています。
マネジメント(タスク管理)とマヤ暦の概念は
Time is Money (時は金なり)と Time is Art (時は芸術(技)なり)
そのタスク管理のツールである「たすくま」は、
マヤ暦の手帳で「じぶんの時間を取り戻す」のにそぐわないのでは?
と思う人もいるかもしれませんが
Time is Money からTime is Art への変遷をつなぐ一助になると
私は考えています。
なんでもやってみていいんだと思うんです。
自分で試してみて、自分に合うやり方を見つけていけばいいんですから。
そこには、常識も評価も関係ありません。
自分がやっていて心地いいかどうか。
ただそれだけのことかもしれません。