こんばんは
制限があるのは困ることが多いですね。
教えることのエントリーから派生しているのですが
実は制限があるからこそ成長するのだろうなと考えます。
最初は自由でも、制限のある中で物事を行うことで
「どうやったらこの制限から自由になれるのか」
「どうやったらこの制限がある中でも楽に生きられるのか」
「自分が楽になるために、どうやってこの制限を外すのか」
などの考えを膨らませていくことができます。
少ないお小遣いだから、どうやって使ったら有意義なのか
パーっと使ってみたらどんな氣持ちになるのか、
もっともらえるようにするには何をしたらいいのか、
なんてことを考えるようになるのかなと思うのです。
不満は感じていいんです
スキーをしていて思いついたことが多いので、
どうしてもスキー絡みの話になりますが、あしからず。
綺麗に整地されたバーンを滑るのは氣持ちいいですし、
足元から感じる不安はほとんどないと思います。
Mちゃんに教えていた時に、
少~しボコボコした斜面に行ったことがあります。
Mちゃんは滑りにくいと見えて、多少の不満を漏らします。
「斜面がボコボコしてて滑りにくくてイヤ」
以前の私が感じていたことと全く同じで、ひそかに笑ってしまいました。
Mちゃんには、
「自分がターンしやすいところまでやり過ごして滑っていいんだよ」
と言いました。
スキーレッスンを受けていると、ここで滑りますよと言われたら否応無し。
これは一種の制限ですよね。
そして、それは続けているうちに、だんだんと平氣になっていきます。
Mちゃんも、何度もそこで滑っているうちに不満が出なくなりました。
そこでの自分なりの滑り方を見つけてしまえば、
氣にならなくなったのだと思います。
自分が何を感じているのかを理解することが大切
教える側となって初めて腑に落ちたのは、
いつでも自分の感じ方が全てだいうことです。
なんでも「イヤだ」と思ってやっていると、
不満に思うところばかりを探します。
実はMちゃんが帰った後に、山へ行って滑る日がありました。
その時の山の斜面はパックされた滑りにくい雪で。
モナカの皮みたいに、踏むとパリっと沈んでしまい
雪にスキー板を掴まれたようになって曲がりづらいんです。
私はそういうのが大の苦手。
雪にスキーを取られて何度も何度も転びました。
その時に思ったのは、
「イヤだな~、この雪苦手なんだよね」
そう思った瞬間に身体は反応して、拒否反応が出ます。
その日はとにかく散々でした…。
自分に植え付けてしまったイメージを取り去ることもできなかったし、
そもそも取り去るという発想自体が出ませんでした。
こんな制限もあるわけです。
今までの私は、そういうことがあると、
この時期に山へ行こうとしなくなったし、
苦手な斜面での練習もなるべく避けて、
自分の楽なところだけを滑っていました。
でも、それをやめました。
制限があるからこそ、工夫ができるし
チャレンジするからこそ結果が出ます。
そして、コツコツと続けることが結果を出し続けることになります。
腑に落ちたからふんぎりがついたのかなぁ。
少しずつでもチャレンジしようという氣になっていますから。
「今は」出来なくてもいいんです。
「これから」できるようになるためにやるんですから。
さいごに
不満は感じていいんです。
感じていなければ「自分がどうしたいか」を決めることができません。
制限が目の前に現れた時、どうするかはその人次第だと思います。
が、その時に「これは制限なんだ」と見ることができるかどうかで、
そのあとの氣持ちと対処が違ってくると思うのです。
できれば笑って過ごしたい。
だから「自分がどうしたいのか」を知ることから始めませんか?