制限があってもいいんじゃない?

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
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こんばんは

制限があるのは困ることが多いですね。

教えることのエントリーから派生しているのですが

教えることは…part1
こんばんは 先日、関東に住んでいる友人夫妻の中学3年生の娘さん、 Mちゃんがスキーをしに来ていました。 日程は4日間、来た日の午後から、...
教えることは…part2
こんばんは 昨日のエントリー”教えることは…part1”の続きです。 教えることは教わること,と書きましたが 日が経つにつれてその...

実は制限があるからこそ成長するのだろうなと考えます。

最初は自由でも、制限のある中で物事を行うことで

「どうやったらこの制限から自由になれるのか」
「どうやったらこの制限がある中でも楽に生きられるのか」
「自分が楽になるために、どうやってこの制限を外すのか」

などの考えを膨らませていくことができます。

少ないお小遣いだから、どうやって使ったら有意義なのか
パーっと使ってみたらどんな氣持ちになるのか、
もっともらえるようにするには何をしたらいいのか、
なんてことを考えるようになるのかなと思うのです。

不満は感じていいんです

スキーをしていて思いついたことが多いので、
どうしてもスキー絡みの話になりますが、あしからず。

綺麗に整地されたバーンを滑るのは氣持ちいいですし、
足元から感じる不安はほとんどないと思います。

Mちゃんに教えていた時に、
少~しボコボコした斜面に行ったことがあります。

Mちゃんは滑りにくいと見えて、多少の不満を漏らします。
「斜面がボコボコしてて滑りにくくてイヤ」

以前の私が感じていたことと全く同じで、ひそかに笑ってしまいました。

Mちゃんには、
「自分がターンしやすいところまでやり過ごして滑っていいんだよ」
と言いました。

スキーレッスンを受けていると、ここで滑りますよと言われたら否応無し。
これは一種の制限ですよね。
そして、それは続けているうちに、だんだんと平氣になっていきます。

Mちゃんも、何度もそこで滑っているうちに不満が出なくなりました。
そこでの自分なりの滑り方を見つけてしまえば、
氣にならなくなったのだと思います。

自分が何を感じているのかを理解することが大切

教える側となって初めて腑に落ちたのは、
いつでも自分の感じ方が全てだいうことです。

なんでも「イヤだ」と思ってやっていると、
不満に思うところばかりを探します。

実はMちゃんが帰った後に、山へ行って滑る日がありました。
その時の山の斜面はパックされた滑りにくい雪で。
モナカの皮みたいに、踏むとパリっと沈んでしまい
雪にスキー板を掴まれたようになって曲がりづらいんです。

私はそういうのが大の苦手。
雪にスキーを取られて何度も何度も転びました。

その時に思ったのは、
「イヤだな~、この雪苦手なんだよね」

そう思った瞬間に身体は反応して、拒否反応が出ます。
その日はとにかく散々でした…。

自分に植え付けてしまったイメージを取り去ることもできなかったし、
そもそも取り去るという発想自体が出ませんでした。

こんな制限もあるわけです。

今までの私は、そういうことがあると、
この時期に山へ行こうとしなくなったし、
苦手な斜面での練習もなるべく避けて、
自分の楽なところだけを滑っていました。

でも、それをやめました。

制限があるからこそ、工夫ができるし
チャレンジするからこそ結果が出ます。

そして、コツコツと続けることが結果を出し続けることになります。

腑に落ちたからふんぎりがついたのかなぁ。
少しずつでもチャレンジしようという氣になっていますから。

「今は」出来なくてもいいんです。
「これから」できるようになるためにやるんですから。

さいごに

不満は感じていいんです。
感じていなければ「自分がどうしたいか」を決めることができません。

制限が目の前に現れた時、どうするかはその人次第だと思います。
が、その時に「これは制限なんだ」と見ることができるかどうかで、
そのあとの氣持ちと対処が違ってくると思うのです。

できれば笑って過ごしたい。
だから「自分がどうしたいのか」を知ることから始めませんか?

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