「かわいそうな自分」から卒業します。
変わりたいと決めても変われていない私、
変わろうと思っているのに、現実が変わらない私。
そもそもの前提が違っていることに氣がついて
やっと目が覚めました。
おはよ〜っ!てな感じです。
「かわいそうな自分」って何?どういうこと?
疑問に思った方、ギクッとした方、読んでみませんか?
かわいそうな自分とは?
こんな言い方、
自分でも言っていたり、聞いたりしていませんか?
「◯◯のせいで、私はこんなになってしまった」
「みんな◯◯が悪いせいだ」
「どうして私をわかってくれないの?」
「◯◯がいるせいで、私は不幸だ」
「◯◯さえなければ、私は幸せなのに…」
これ、すべて私が今まで言ってきた言葉です。
バリエーションはた〜っぷり、売るほどありますが(汗)
これらの意味するところは、たった一つ。
「そんな、かわいそうな自分」
すべての責任を他人や環境に押しつけています。
「責任転嫁」というやつですね…
責任転嫁とは
「自分が負うべき責任を他人になすりつけること」
自分を正当化したいがために、他に責任をなすりつけるわけです。
「私のせいじゃないっ!」と叫ぶこともしばしば。
かわいそうな自分を「やめる」とは?
「かわいそうな自分」をやめる、とは
この責任転嫁をやめるということ。
シンプルに「自分の責任を自分で受け持つ」ということです。
自分がやったことは自分の責任。
成功も失敗もすべて自分が行動した結果によるもの。
そういうスタンスに立つことが、
「かわいそうな自分」をやめることです。
そのスタンスでは、成功も失敗も同じステージで扱います。
成功が素晴らしくて、失敗がどうしようもない、
という優劣がありません。
成功と失敗のどちらからも
「なぜそうなったか」
「これからどのようにするか」
の氣づきを得るきっかけにしていけるから。
失敗に囚われず、成功にもしがみつかない。
ただ、そこから得られるものを得ようとするだけでいいと思っています。
私自身が「かわいそうな自分」に酔っていた
先ほど挙げた例でもわかると思いますが
私自身、「責任転嫁」の塊のような生き方をしてきました。
責任転嫁のパターンはいくつもありますが、
自分でも意識しないまま、そのパターンを使っていました。
「本当は変わりたくないんじゃない?」と言われても
まったくピンと来ていなかったし、
「変わりたいと思ってるのに、そんなことあるわけないじゃない」
逆に、そう思っていました。
でも「変わりたい!」と強く願っているのに、
現実はほとんど変わらない。
焦れば焦るほど、泥沼のようにズブズブとはまっていきます。
今思えば、ただ単にその状態に酔っていたとわかります。
「かわいそうな自分」でいることで
面倒なことに向き合わずにいる理由ができるから。
「やればできる自分」の可能性をつぶさないために
「かわいそうな自分」でいることを選んで、
やらなくていい理由を都合よく作り上げていました。
泥沼からの脱出を助けてくれた人たち
そんな責任転嫁しまくりの自分に氣づかず、
変わらないと焦っていた私。
ようやく焦りの泥沼から抜け出ることが出来ました。
私に起こっていること、
私が引き起こしたことの責任は 私自身にある、
それをはっきりと認めて、腑に落ちて、初めて抜け出せたのです。
頭ではわかっていても、心が納得していなかったり
行動に移せなかったりしているのは、
本当にはわかっていないからでした。
腑に落ちていないからなんです。
私の場合、信頼しているコーチや、オーラソーマの仲間たち、
親しい友人たち、家族の力を借りて、
繰り返し繰り返し私自身に向き合うことに取り組んできました。
でも、やる!と決めては
「後にしよう」
「今はタイミングじゃない」
などと言い訳をして、やらないこともよくありました。
そしてやれない自分に自己嫌悪を感じて、
変に焦ることもしょっちゅう。
痛い出来事を引き起こしては、
眉間にしわを寄せて悩み悶える私を
みんな、親切に手を差し伸べることはしないで、
適度に放っておいてくれました。
私が自分の中で解決するのを待ってくれていたと思っています。
(ただの放置だとは思いますが…笑)
そうやって、少しずつ少しずつ変わるための下地は出来上がっていました。
次に続きます