こんにちは
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小さな一歩かもしれませんが、踏みしめて歩き出した感じがします。
今までやらなかったのは…
今までも、自分の活動を広げたい、知ってもらいたいと思ってきました。
ですが、実際に自分がやっていることと
自分自身が思っていることを擦り合わせていませんでした。
知ってもらいたいと強く思っていながら、
人に知られたくないとも思っていたからです。
知られなければ恥をかかなくて済む。
人に後ろ指を指されなくて済む。
あれこれ言われなくて済む。
なんて後ろ向きなんでしょうね(苦笑)
矛盾しているのはよくわかっていたんですが、
そのままにしておくことで、
自分を居心地のいい場所に留めていたかっただけでした。
トドのつまりは、覚悟が出来ていなかっただけなんですから。
歩くことで道ができる
私たちは何か目標を掲げると、
そこには道が伸びているのが見える、と思ってしまうようなんです。
実はそんな道なんて見えないし、目の前に伸びていることはないんですね。
先日のオーラソーマ®アップデートで環先生がおっしゃっていたことですが
「歩くから道ができるんですよ」
歩き始めることで、その足元が道になって、自分の後ろに道が出来ていく。
そのことがようやく実感としてわかってきました。
自分が進まなければ道にならないんですね。
その道を歩くのは、誰でもない私ですから。
いろいろと言う人は確かにいます。
でもそこで怖氣づいていては何も変わるはずが無いですね。
その人が私の道を歩くことはできないんです。
自分がやりたいことをするのに、他人の許可がいるのでしょうか?
他人の目を氣にしているうちは、本当に表現したくてもできないのでは?
そこに氣がついていながら、足を踏み出すことをためらっていましたが
足りないところがあってもいいんだ。
ここから始めればいいんだから。
そう思えたのは、八戸でのセッションでみなさんのお話を伺ってからです。
一歩を踏み出せたのは、みなさんのおかげだと思っています。
さいごに
以前にも書いているのに…ですね。
同じようなことで足踏みしているように思ってしまって
自分はなんて進歩がないんだろう…と卑下してしまう。
でも、そんなことは必要なかったです。
私は、よくそう感じてしまいやすいのですが
「氣がついている」こと自体が以前とは違います。
そして、別の事例で出来ているのなら、当てはめることができます。
螺旋階段を一歩ずつ登っているようなものかもしれません。
景色があまり変わらないように感じてしまいますが
少しずつでも着実に高いところに向かっているのです。