誕生日は「感謝の日」だと実感しました

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
Aihal-Sophia【アイハルソフィア】いがまゆみ です

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今朝ふと、いつも当たり前のように飲んでいるお茶が
飲めなくなる時が来るんだなぁと思ったんです。

それは、母が送ってくれた美味しいお茶なんですが、
顔の分かる方が作っているものを分けてもらっています。

ところが、その生産者さんの体調が優れなくて (高齢でもあります)
生産をやめたので、私の元にも届かなくなるからです。

自分で美味しいものを探す手間をかけなくてはならないんだな、
そう思ったら、送ってもらっている食べ物や飲み物などはもちろんですが
母がしてくれていることのすべてを心からありがたいなと感じました。

誕生日に感謝を感じたのは偶然?

今日は私の誕生日でして、朝からFacebookなどを通して
おめでとうメッセージやコメントを何通もいただいています。

本当にありがとうございます!

おめでとう〜!素敵な1日を! といただくのが嬉しくて、
ありがとうございます〜(^^)  とお返ししていました。

祝ってもらえるのが嬉しいのはもちろんです。
が、途中から感じ方が変わってきました。

お祝いが嬉しくて、ありがたい!
というよりもですね、
「今までの私と関わってもらえてありがたい!」
という感じに変わってきたんです。

お一人お一人の顔を思い浮かべながら
あんなことがあったなぁ、こんなこともあったなぁ
そう思い出していったら、もう本当に感謝しかなくなりまして…。

死には近づくけど、してきたことへの認知を大切にしたい

ついこの間、NHKの「SWITCH インタビュー達人達」を見ていたときの
作家の川上未映子さんの言葉を思い出しました。

「子どもの頃、なんで誕生日がおめでたいのかわからなかった。
死に一歩近づいてるのに、何がおめでたいのかって」

内容そのままではありませんが、こんな感じのことをお話ししていました。

この言葉を聞いて、そうか〜と思いつつ
私ならどう思うんだろう、と考えていたんです。

その時はただ単に
「この一年無事に過ごせて良かった、というおめでとうかな」
くらいに考えていました。

そして今日。
自分が誕生日を迎えて、みなさんからのお祝いメッセージをいただいて
感じたのが「感謝」でした。

私と関わってくれているみなさんが
「おめでとう」と言ってくれることに対して
私は、「私と関わってくれてありがとうございます!」とともに
「これからも関わってくださることへの感謝」を感じています。

良い関わり方ができた方はもちろんのこと、
私のせいで嫌な思いをした方もいらっしゃると思います。

それでもメッセージを送ってくださる方に
私が示せるのは「感謝」しかありません。

そして、私がする必要があるのは
自分がしてきたことをきちんと認める、認知することが大切だなと。

思いを乗せられることにも感謝です

偶然にも今朝、美味しいお茶を飲めるようにしてくれていた
母への感謝を感じたこと。

それが、今日みなさんからいただいたメッセージに対する
私からの感謝へとつながりました。

同じ「ありがとうございます」という言葉の中に
単に「嬉しい」と思った以上の感覚が乗っている氣がします。

感じていただけるかどうかは、この際どうでもいいです(笑)
私が「乗せた!」と思える感覚があることが大切なので。

ここから「乗せた!」とか「乗せてない…」というものではなくて
私の中にあった、言葉に出来ていなかった感覚が言葉になった感じです。
だから、お礼メッセージのすべてに私の思いが乗っています。

そして、メッセージを下さった方以外にも
私が関わったみなさんに、心から感謝しています。

その経験がなかったら、「今」の私とは違っているはずだから。
ありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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