「かわいそうな自分」からの卒業 の続きです。
責任転嫁しまくりの私を、
支えてくれる人たちがいてくれたおかげで
脱出できたと思っています。
衝撃は突然やってくるようでいて、実は用意されているのかも…
お掃除・メンテモードに突入していると
エントリで再三書いていますが
私のココロのガラクタも、
いろいろな出来事を重ねながら整理をしていました。
そしてある時、ある人との会話の後にそれがやってきました。
「なぜ、私はこの出来事と向き合うことになったのだろう?」
と自分に問いかけたことがあったんです。
その時、唐突に「自分の中にあった」ことを思い出しました。
巷でよく言われている、引き寄せの法則に則っていて
私の中にもともとあったから、やってきたのだ、と
ようやく腑に落ちました。
その1週間後にも、同じ種類の、
けれどもっと大きなレベルでの氣づきがやってきました。
テレビの選挙番組を見ていたのですが、
ハッと我に帰るような氣づきでした。
現実が変わっていかない大きな原因が、
「私が変わりたくない、現状維持でいたい」からだと
ハッキリわかりました。
選挙の内容云々が関係しているわけではありませんが
その映し出されている画面を見て、
自分の内側にあるものがそこに現れている、と感じました。
まるで、ダメ押しのように。
畳み掛けるような勢いで来たのは、
実はもう私の準備ができている証拠なんだと思ったんです。
何の準備かって?
私が本当に自分で望んだように変わるための。
ヒナが卵の殻を割るように、自分の殻を破るのも自分自身
今までに、私が自分の内面を見るためにやってきたことは
「みんなに話して」
「自分で振り返り、自分の感情を感じ」
「自分で考え、表現する」
の繰り返しでした。
なによりも、
人に「表現しようとする」ことで私の中で練りあがっていくものと、
私が「表現した」ことへの反応を感じて、湧き上がってくる思いを
まとめることで、私自身の物事への捉え方自体が変化していきました。
最終的に解決するのは自分自身ですが、
それまでのプロセスで、誰かに話を聞いてもらうなどの
サポートをお願いすることは、その解決を早めると思っています。
私を見守ってくれている友人やコーチ、仲間たち、そして家族。
彼らがくれるアドバイスは、とても有意義なものです。
けれど、それが私の奥底に響かない時期もあります。
その意味もわかるし、彼らが私のために言っているのもわかるけれど
響いてこない時期があるのです。
けれど、それは無用なものではありませんでした。
じわじわとにじみ出るように作用していって
いろいろなものが複合的に絡み合って
臨界点に達した時、
もらったアドバイスの意味がストンとわかったからです。
この臨界点はその人のタイミング。
外野がいくら口酸っぱく言っても、このタイミングだけは測れません。
臨界点に達した時というのは、
孵化寸前のヒナが内側からコツコツと殻を叩くようなもの。
そうやって、自分の中から「今までと同じに見えて、違う自分」が
生まれてくるのかもしれません。
今までと同じに見えて、違う自分になっているか?
仕組みの一部がわかったように感じるので、
自分でいろいろと試してみたくなりました。
私の外側で起こっている出来事が、私の内面を映し出しているのなら
今までの私なら到底やらなかったことをやってみて、
その結果がどうなるのかを知りたくなったのです。
今までならスルーしていたことを、敢えてやってみる。
頭で考えて行動する前に、頭にポッと浮かんだことを実際にやってみる。
自分の知らないうちに(意識せずに)避けていたことをやってみる。
果たしてどうなりますことやら。
楽しみでもあり、少々怖くもあり。
で、現在実行中。
それに伴って、ブログ内もまだまだリニューアル続行中です!