昨日のコーチングでは、いろいろなことを話しました。
今まで避けてきたことが
実は自分の中にあるとわかって
避ける理由がなくなったという話です。
依存を恐れる理由がなくなった
昨日のエントリに書いた「自分の立ち位置を下げる」。
この自分の立ち位置を下げるやり方は
私の場合、簡単に自己卑下と結びつきました。
立ち位置を下げたから結びついたのではありません。
思春期あたりから自己卑下する癖を身につけていたので
立ち位置を下げる方がやりやすかったんだと思います。
それが「ごめんね…」につながるわけですが、
この思考のクセを持つ、私と似ている人たちがいます。
昨日のコーチングの中で
依存する人について話していました。
私は以前、依存する人を避けようとしていました。
はっきりと言ったこともあります。
依存する、依存しやすい人を見ていると
おずおずとした表情、態度になっている人が多い氣がします。
自分を信じるより、他人からもたらされるものに価値を置くので
それが依存するという方向へ行ってしまうのかもしれません。
それは、私が自分の立ち位置を下げていた時と同じで
自己卑下のパターンなのではないか、そう思っています。
人の顔色を伺ってしまう、というのは
理由はどうあれ、その人が「傷ついてきたから」で
それで人一倍、他人の感情などに敏感に反応するのでしょう。
それって私が通ってきた道ですよ。
だから避けたかったのかもしれません。
ですが、私も彼らと同じことを感じてきたはず。
だとすると、私が依存を恐れる理由がなくなりました。
私の中にも「依存のタネ」があるんですから。
人を頼ることを恐れないで踏み出そう
依存のタネがあるのがわかったから、依存を恐れる理由がない。
だからといって
べったりと依存してくれ!と言っているのではありません。
自分の足で立っているんだと実感できるまで
依存しなくても大丈夫なんだと思えるまでは
「人を頼りながら」自分で立つ練習をしたらいいと思うんです。
自転車を補助輪無しに乗れるようになるまで
お父さんやお母さんに支えてもらって練習したのと同じ。
一人では出来ないことは、誰かの手を借りていいんです。
というか、誰かを頼らないとできないです。
独りきりで四苦八苦して疲れてしまうくらいなら、
サポートしてくれる人と一緒に乗り越えていく方が
圧倒的に氣分が楽です。
その時に必要なのが
「自分の足で立とう」とする意志。
これがある限り、人を頼っても依存ではないと私は思っています。
自分の足で立っているのがわかったら、次はあなたが誰かを支えてあげられる
自分の足で立とうとしないで、誰かに立たせてもらいたいと
マグロのように寝転がっているだけなら私は手を貸しません。
そこまでお人好しじゃありませんから。
ですが、少しでも自分の足で立ちたい、変わりたいと思っているなら
何回失敗したとしても、弱音を吐きたくなったとしても
私は、横に一緒にいてサポートしていきます。
コーチの方と話していて改めて、
私がやりたいのはこういうサポートなんだなと思ったんです。
オーラソーマを使って今の自分を見つめながら、
本来の自分の輝きを取り戻すサポートをすること。
もちろん一人でもできるけれど
仲間がいる方が心強いし、お互いに支えられます。
それが相互依存、相互共存 Interbeing だと思っています。
お互いさまということ。
自分の痛みや辛さを知ってきたから
他の人の痛みや辛さも理解することができる。
そんなあなたが誰かを支えることもできるようになっていきます。
そうやって笑顔を順送りにしていくきっかけを
Aihal-Sophiaで作っていきたいと思っています。
あなたからその一歩を始めてみませんか?