こんばんは
今日は夏油高原で行われた「2014夏油てしごといち」に行ってきました。
かなりの出店数で、賑わっていましたよ!
どんなところでも、何かしら氣づくことはありますね。
氣づくとは?自分を再認識
これは私が氣づいたことなので、どなたにも当てはまることかどうかはわかりません。
ただ、こんな形で氣がつくこともあるんだなという覚書。
知人夫婦が出店していたので寄ってみました。
そこでの会話から氣がついたことです。
彼らと話していた内容は私に直接関係はありませんが、最近感じていたことがうまく言葉にできるようになったので。
私が求めているものは「使える道具であり、使う道具」
見た目に惑わされるのではなく「本質」を求めること
その「道具」としての「本質」を掴めていれば
自分にとっての必要なものがよく判り、シンプルに判断できる
また、その逆も然り
先日の万年筆のエントリーでも書きましたが
私が何を必要としているのかが判っていたので
私好みの万年筆を見つけることができた、ということにつながります。
つまり。
・強い筆圧をかけないで書ける筆記具が欲しい
・なるべく速乾性のあるインクで書きたい
・元々、万年筆を使っていて、その書き味が好き
・少し手のかかるアナログなものが好み
この条件を自分でわかっているので、ネットで該当するものを調べ上げて購入。
そして、使い勝手は上々!
この「氣づき」というのは、私にとって自分を「より知る」ということなんです。
自分を「より知る」
私が好きなものは何か?
どんなことが得意か?
何をすると氣分が上がるのか?
また、
どんなことを不快に思うのか?
何について苦手意識を持っているのか?
腹が立つのはどんな時なのか?
案外と自分でもはっきりわかっていないこともあります。
それを「再認識」するのが、簡単に自分を知ることなんです。
まずはそこから。
エンドレスも楽しむ
そう、簡単に自分を知ることはできます。
ただ、それで全て判るわけではないです。
私の体感からしても、まだまだ全然。
玉ねぎの皮をむくように少しずつ
自分で自分を隠していた鎧を剥いでいくのです。
この作業には、実は終わりがないみたい。
いつまでも剥ける玉ねぎなんてありませんが
自分はいつまでも剥き続けられると思います。
「剥く」から「磨く」に変わりながら。
ある程度までは、ただただ鎧を剥ぐ作業。
今まで向き合えないでいた部分を見るのは難儀です。
逃げたいからこそ鎧で見ないようにしてきたのに
それを剥いでいくんですから。
でも
必ずできます。
それは、誰にでも。
望めば、どんな時でも。
次に氣づくこと
近ごろ
「これは同じことを別の言い方で表してるな」
と思うことが多々あります。
表現方法が異なるだけで、本質が同じ。
次はそんなことを書いてみたいと思います。