当事者の方の声を聞いて〜音訳奉仕員への道

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
Aihal-Sophia【アイハルソフィア】いがまゆみ です

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前回のエントリはこちら

実際に録音してみる〜音訳奉仕員への道
前回のエントリはこちら 音訳奉仕員の話を続けていますが 備忘録も兼ねているので、あしからず。 Aihal-Soph...

うっかりと1ヶ月経ってしまいましたが(汗)
音訳奉仕員として養成講座を受講することが決定し、
合同講習へ行ってきました。

この合同講習は
点訳、音訳、音訳校正、デイジー編集の
各養成講座を受講する方対象の講習で
「社会福祉概論」と「視覚障がい者について」という内容でした。

「合理的配慮」と「相互依存」

日本の社会福祉がどのような道筋を辿ってきたか、
そしてどのようにこれから進もうとしているのかを
かいつまんで説明してもらいました。

その際にいただいた資料に
「合理的配慮」を知っていますか?というリーフレットがあります。

書かれている内容は以下の通り。

  • 「共生社会」の実現のために
  • 不当な差別的取扱いの禁止
  • 合理的配慮の提供

このリーフレットで表現されている「合理的配慮」というのは

合理的配慮は、障害のある人から、社会の中にあるバリアを取り除くために
何らかの対応を必要としているとの意思が伝えられたときに、
負担が重すぎない範囲で対応すること(事業者においては、対応に努めること)が
求められるものです。


とあります。

申し出があった時に、
代筆、筆談やタブレットなどを使った会話、車椅子の補助、手話、点字などで
対応するなどがそれに当たります。

もし負担が重すぎて、申し出どおりに対応できない場合は、
理由を説明し、お互いに話し合って別の方法はないかを探ることもできます。

そんなこのリーフレットを見ながら社会福祉について聞いていると
障がいの有無は関係なしに,
この社会で生活するお互いが助け合うことの大切さを
改めて考える必要があるなと思いました。

私がこのブログで何度か書いている「相互依存」の考え方が
ここにリンクしてきます。

ボランティア活動をするのは、Aihal-Sophiaの活動をする上でも
プラスαとなるんじゃないかという期待があります。

当事者の方の思いを聞く体験

次に、「視覚障がい者について」ということで
視覚障がい者の読書環境についてのお話でした。

前に出られるまで全く氣がつかなかったのですが、
お話くださった方は、視聴覚障がい者情報センターの職員の方で
視覚障害の当事者の方でした。

ちょっとしたユーモアを交えながら
ご自身の経験からの読書環境についてを聞かせてくださいました。

そのレジュメの一番最初にある言葉
「文字への渇望、本へのあこがれ」

渇望と表現するまでの強い思いがあることを私は知らなかったし、
本を読むことが好きな私にとって、少しだとしても想像できたのでは?
と思うと、なんとも言えない氣持ちになりました。

最近までの悲願だった
「その日の新聞を、その日のうちに読みたい!!」 という思い。
まさしく、文字への渇望だったのだと感じます。

今では、パソコンの自動音声を使うと
その日の新聞の情報を得ることができるようになっています。

文字情報へのアクセス方法は飛躍的に進化しましたが、
その、視覚障がい者の読書を支える人たちがやっていることは
点字や録音ができるようになった60〜80年前と
あまり変わっていないのだそうです。

マンパワーに頼る部分がとても大きいのだと言うこと。
点字にしても、録音図書にしても、
正しいかどうかの校正には必ず人の目、耳を使うからです。

パソコンの自動音声や録音図書は確かに便利ですが、
対面朗読や口述筆記などの強みは、「そこに人が居る」ことなのだそう。

人とコミュニケーションを取って、自分に必要な情報をその場で得る。
どんな意味の漢字を使っているのかとか、
イメージはどんなものなのかとか、
その場で「確認しながら知りたい」ときには、
やっぱり人とのコミュニケーションがかかせないのだそうです。

そういう当事者が感じている話を聞かせていただいて、
改めて「やっていきたい」と思いました。

今までの自分が氣づかなかった視点を得られると思っています。

私の中にこそ「心のバリア」があることを知る

たまたまこのエントリの下書きを書いてから1ヶ月が経ちました。

その間に、選挙情報が視覚障害のある方に開かれていないというニュースや
バニラエアが車椅子利用者に介助なしで階段タラップを自力で昇らせた、などの
「合理的配慮」を全く意識していない事例を目にすることが増えました。

健常者というカテゴリに当てはめている私たちの側にこそ「バリア」がある、
というコラムも読みました。

こういったニュースやコラムを見たり聞いたりすると、
その時は「そんなことがあるなんて」と驚きます。

ですが、実際のところ自分はどうなのか、と自問自答したときに
私にとっては「知ろうとしなかった」ことも「私が持つ心のバリア」だと感じています。

今まで意識することがなかったことを知って、
知っただけで終わらせてしまってはいけない。

今の自分ができること、続けていけることを考えてやっていきたいです。

つづく。

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