こんにちは
スピリチュアル と聞いてどんなことを感じますか?
前回のエントリ「私にとってのスピリチュアル」の続きです。
意識的でいるとは、どういうこと?
マインドフルネスという言葉を最近よく耳にします。
マインドフルネスとは、仏教におけるサティ(正念)から、
宗教的要素を除き、メソッド化した自己啓発や
心理療法として用いる瞑想をベースとした、
エクササイズであり、テクニックであり、状態である[1][2]。
マインドフルネスは、今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、
現実をあるがままに受け入れることである[3]。
また、特別な形で、意図的に、評価や判断とは無縁に、
注意を払うことである[4]。
私は、マインドフル=意識的でいる、ということだと理解しています。
私自身は、ついつい日常を無意識に過ごしますし
不平不満も大いに口に出しますが(汗)
その中でも、いろいろな些細なことに
ハッとすることが多くなっています。
常に四六時中、意識的な状態でいるのは簡単ではありませんが
氣がついた時にその状態に自分を置けばいいんだと思っています。
自分を見つめる目を持つこと
では、どうしたらその「意識的な状態」でいられるのか?
他の人では違うかもしれませんが、私の場合はこんな感じです。
「普段の私の視点以外のところから物事を見る感じ」
わかるでしょうか?
俯瞰(ふかん)という状態に近いかもしれません。
簡単な例えとしては、
- 普段の私の意識と、俯瞰した意識(意識的な状態)
と対比して、
- 物語の主人公と、その本を読んでいる私
- 映画の主人公と、その映画を見ている私
という感じです。
主人公に感情移入しつつ、
外からの目線を持っている状態と思ってください。
なにか、腹が立つようなことが起こったり
悲しくて仕方ないような出来事に出くわしたりしても
その中に巻き込まれない、一歩引いた見方をして
その出来事が私にどんな影響を与えるのかを感じ取ります。
反射的に反応してしまうこととか
流されるように物事に巻き込まれてしまうこともあるでしょう。
そんなときは、後で見つめてみてもいいんです。
自分を変えたいと思っているなら、
この視点は必要だと思います。
(今朝のNHK あさイチで、
ちょうどこんなことが話題として取り上げられていました)
自分の奥の奥を見つめる練習をしていくと…
見つめることで、思いもかけないことが浮かび上がってきます。
- 実は「被害者でいたかった」自分とか
- 実は「とてもさみしいと感じている」自分とか
- 実は「その状態でいることにメリットを感じている」自分とか
変えたいと思う人は、いつか必ずそのことに氣がつきます。
口先だけで変わりたいというだけで、
本当に変わりたいと思っていない人は、
残念ながらそのことには氣がつきません。
というか、氣がついちゃいけないんですもんね、
変わりたくないんだから。
(私は何年もその時期を過ごしました 笑)
だから、もしも思いもかけないことが浮かび上がってきても
自分をダメだ、と思う必要はないです。
氣がついたことがチャンスだから。
氣がついたら、必ず「自分自身で」変えることができます。
ただ、一人でするにはとても忍耐力が必要かも。
私もそうですが、相談できる人がいてくれると勇氣が出ます。
自分一人じゃないと思えること、誰かが見ていてくれる安心感。
それが、自分を「自分自身で」変えていくための勇氣になります。
さいごに
変わりたいけど、一人じゃ心細い、心もとない。
そんなときは、氣づかせ屋 Aihal-Sophiaを思い出してください。
寄りかかるのではなく、あなた自身の脚で立つのを応援します。
Skypeなら全国どこにいてもサポートできます。
不安を吐き出して、
目に見える、わかる形にして解消していきましょう。