先日のNHKスペシャル「発達障害〜解明される未知の世界」と
今日放送された、あさイチの
「シリーズ発達障害 自分の“苦手”とどうつきあう?」を見ました。
とくに自分の「苦手」と向き合ってきた、
特別支援学級に通う子供たちの「自分研究」には目を見張りました。
「自分」と「できないこと」を分ける
子供たちは、自分が「苦手」だと思うシチュエーションと
その時に自分がどう感じているか、何を考えているかを書き出して
「苦手のモト」をキャラクター化していました。
これは、「苦手」なことと「自分自身」とを分ける作業です。
同一化しないのはとても大切なことで、
私たちはここをごちゃまぜにしがちなのです。
ごちゃまぜにしたままだと、
「◯◯ができない私は、ダメだ」となってしまいます。
「◯◯ができない」と「私」を一緒くたにする必要もないのに
その区別をしてこなかったために、ごちゃまぜに考えてしまうのです。
人には向き、不向きがあるのはわかっていても、
日常生活でこんなに感じ方や表現に差があったり
感情などのコントロールが難しい人がいるんだ、ということと
結びつけて考えることをしてこなかったんだなぁと感じました。
自分を研究しよう!
実は、この特別支援学級に通う子供たちがやっていた方法。
私は以前からある番組を見て知っていました。
それは「バリバラ(バリアフリーバラエティショー)」や
「こころの時代〜宗教・人生〜」というEテレの番組で放映していた
北海道浦河町の「浦河べてるの家」で行われているものと同じなのです。
浦河べてるの家は、精神障がい等をかかえた当事者の地域活動拠点です。
べてるの家では、「当事者研究」という名称で行われています。
「当事者研究」は、北海道浦河町における「べてるの家」をはじめとする
起業をベースとした統合失調症などをかかえた当事者活動や暮らしの中から
生まれ育ってきたエンパワメント・アプローチであり、
当事者の生活経験の蓄積から生まれた自助-自分を助け、励まし、活かす-と自治(自己治療・自己統治)のツールである。
詳しくは当事者研究ネットワークをご覧になってください。
べてるの家でやっている「当事者研究」も、
特別支援学級の子供たちがやっている「自分研究」もほぼ同じ。
「自分で自分のことを知る」なんです。
自分がラクになるためにやっている〜自助〜
Aihal-Sophiaでオススメしている「自分を知る」も同じです。
べてるの家や特別支援学級の子供たちがやっているのは
「困っている」「理解してもらいたい」ので
- 自分で自分のことを知って、
- どうしたらいいのかを自分で考え、
- 他の人に伝える
です。
Aihal-Sophiaでオススメしているのは、まずそのうちの最初の二つ。
- 自分で自分のことを知る
- どうしたらいいのかを自分で考える
Aihal-Sophiaは、その考える作業のサポートをします。
私もそうですが、困っているから
どうにかしなくちゃ、どうしたらいいんだろう?
と考えるわけですよね。
そのやり方を足がかりにして、
困った時だけではなくて、
日常生活のいろいろな場面を思い浮かべながら
- 私が本当に好きなことはなんだろう
- 私の嫌なことはなんだろう
- 本当に得意なことはなんだろう
- 苦手なことはなんだろう
を自分で感じ、考えていって
好きなこと、得意なことを伸ばしていったり
嫌なこと、苦手なことにどう対処したらいいかを考えて、
実際に行動していったりすることなんです。
それが、べてるの家の「当事者研究」の理念にあるように
「自助〜自分を助け、励まし、活かす」につながるからです。
自助を意識することで、自己肯定感の低い状態から、
ニュートラルな位置まで戻す助けになると私は感じています。
新しい見方をする時期に来ているのかも
私自身、これらの発達障害の特集番組を見ていて
あ、私もそういうところあるな、と思い当たる部分があります。
騒がしいところでは、周りの音に氣を取られて
隣の人の話していることが聞きづらい、氣が散ってしまう
相手が話している言葉を聞いても、意味がわからない
ということがあるからです。
努力でどうにかなる場合もあれば、
どうにもならない場合もあります。
その時に、
「私はこういう特性を持つので、こんな風にしてもらえますか?」
「そうなんですね、ではこちらもそのように対処しますね」
というコミュニケーションがとても重要になってきます。
あの人は空氣が読めない、とか
みんな私のことを察してくれない、と思っているままではなくて、
今まで以上に「自分を通した」コミュニケーションを図るのが大切。
そんなことを考えさせられる特集番組でした。
今までの、何にも考えずに自動的にやってきたやり方から
新しいやり方に変わっていく時期に来てるよ、ということなのかもしれません。