「自立する」と「他者を尊重する」はつながってる

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
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平田オリザさんの新刊
「下り坂をそろそろと下る(講談社刊)」についての

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日経DUAL編集部との対談を読んで、
氣がついたことがあったので書いてみました。

「自立する」と「他者を尊重する」

平田オリザ「母親が何かを犠牲にする社会はおかしい」
日経DUAL 6月16日(木)11時55分配信

平田オリザさんは、
後ろ指を指される社会はおかしいという論点で語っていて

その中に次の一文があります。

「自立する」ことと「他者を尊重する」ことはすごく矛盾することなので、教育の中でそれを教えていかないといけない。

教育の中で教えていくことは賛成ですが
この「矛盾する」というのが、私には違和感だったんです。
私にはこの2つは近いもののように思えるから。

まず自立について辞書を引いてみました。
コトバンクより引用

デジタル大辞泉の解説
じ‐りつ【自立】

[名](スル)
1 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」
2 そのものだけで直立すること。別のもので支えていないこと。「自立式のパネル」

私が考える自立も、デジタル大辞泉の1のような意味です。

親からの自立、組織からの自立、経済的に自立するなど。
自分の担うべき責任を自分で取ることですね。

イメージとしては、今までの状態から階段を一つ上がるように
大人として行動し,また大人として認められることかなと思っています。

大人として自立する

大人として認められる、と書きましたが
年齢が来たから大人になった、というものではないと思っています。
そこには「精神的に自立しているか」も関わってくるからです。

自立と言っても、
私たちは人と関わることなしに生活することはできません。

社会の中で人と関わるうちに
「自立する」ことで「他者を尊重する」大切さがわかると思っています。

お互いに自立していれば、
それぞれが「自分の考え・意見を持っている」と
わかると思います。
自分の主張もするけれど、
相手の事情なども思いやることができます。
客観視できるというのもポイントです。

「自分の意見はあるけど、
あいつの言うことももっともだ」

「どちらもわかるけど、
お互いにうまくいく方法はないだろうか」のように。

これが「自立していない」と、子供のわがままのようなもので

「私が、俺が、損するなんて嫌だ」
「あいつだけが得するやり方はおかしい」
「なんで私ばっかり?」

ということになるのではないかなと思うのです。

私たちは自分で学んで大人になっていく

俺が!私が!というのは、
誰かが守ってくれると盲信していて子供っぽい。

自分以外の誰かが責任を取ってくれるはず、
とどこかで信じているから、

自分の主張だけを声高に張り上げるのかもしれません。

でも自立とは、自分も独り立ちしているのと同じく、
他の人も自分と同じように独り立ちしているのだと
わかることではないでしょうか?

だとすると、
これは大人として社会を創り上げるベースの考えだと思います。

社会とは、多様な人が集まり、
お互いに支え合って創り上げていくものだと考えているから。

すると「自立する」ことと「他者を尊重する」ことは何も矛盾しません。
「自立する」は「他者を尊重する」につながる概念だと思っています。

世の中は大人ばかりでもないし、子供ばかりでもありません。

いろいろな人がいる中で、いろいろな価値観と接して、学んで
「大人の自分」を創っていく過程が「自立」なのではないでしょうか。

さいごに

自分が担っている責任の重さをきちんと理解できると、
他の人が担っている責任の重さも想像できるようになります。

断言してますけど、実際、自立している人の目線は厳しくも優しい。
する必要のあることを淡々とこなして、
かつ人を氣遣うことができている人ばかり。

私自身もそうでありたいと思っています。
自戒を込めて。

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