こんにちは
スピリチュアル と聞いてどんなことを感じます?
目に見えない世界?
天使や妖精がふわふわと舞う世界?
オカルト的なもの?
パワースポットやパワーストーンとか?
スピリチュアルとは?
それぞれの人が思い浮かべるスピリチュアルな世界。
私は、それらの世界が大好きでありながら
それを前面に押し出して「見えない世界、大好き!」と
声を大にしていうことを避けてきました。
理由は
「見えない世界は受け入れてもらえない」と思っていたから。
そして私がそれを表現して、
私自身を受け入れてもらえなくなるのは
嫌だと思っていたからです。
オーラソーマ®を知って、自分で使い始めてしばらくしても
「スピリチュアルを怪しくなく知ってもらいたい」という
とてつもなくおかしな(笑)言い回しを使っていました。
世の中の流れの変化もありますが、
最近になって、
私にとってのスピリチュアルとはこうなんだなぁと
思えるようになったので書いてみます。
私たちが思っているスピリチュアルとは
そもそもスピリチュアルとはどういう意味でしょうか?
英語のスピリチュアル(英: spiritual)は、ラテン語の spiritusに由来するキリスト教用語で、霊的であること、霊魂に関するさま[1]。
英語では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する[2]。
英語のスピリチュアルはこんな意味なので、
宗教的な概念も含んでいます。
では、私たちが感じている
「スピリチュアル」とはどんな意味でしょうか?
宗教的なもの(とくにキリスト教)はもちろんのこと、
見に見えない得体の知れないエネルギーを扱うとか、
天使とか、妖精とか、カルマとか、輪廻とかではないでしょうか。
怪しいですか?
怪しいかもしれませんね。
なぜ怪しいと感じるのか?
それは「知らない」「氣づいていない」「わからない」からではないかと。
なかでも、体感できない=わからない、
と思ってきたことが大きいです。
私自身がそうだったから。
でも、体感できなくても、
見えない世界があることを信じてきたのは、
この日本という土地で生まれ育ったからかもしれません。
スピリチュアルを身近に感じている私たち
日本では、目に見えない世界のことを大したタブーにもせずに
当たり前に扱っています。
無宗教と言いながらも神社・仏閣に行って参拝したり、
お彼岸やお盆にはお墓詣りで先祖の霊を慰めたり。
お天道様が見ているよっ!という言い回しがあったり
困った時には「神様、お願い!」と思わず神頼みしてみたり。
日常的にスピリチュアルな思いと
生活をともにしてきていると思います。
それは科学が発達し、
デジタル機器が普及した現在でもです。
目に見えないから、そこには何もない、のではなく
目には見えないけれど、何か感じるものがある
私たちの奥底にあるのはそういうことではないでしょうか。
その状態に「氣づく」と、
実はスピリチュアルとは
日常と切り離すことができないものだ思うのです。
できないというよりも、切り離す必要がないもの、でしょうか。
日常生活がスピリチュアルそのもの
だから、私にとってのスピリチュアルとは、
それらが入り混じった日常生活そのものだと氣がついたんです。
「怪しくなく知ってもらいたい」
なんて思うことも要りませんでした。
日常生活に「氣づき」があふれていることを
感じながら生活することが
=スピリチュアルだったので。
朝起きて、ご飯を食べて、仕事をして、
お風呂に入って、寝る。
その毎日繰り返している生活の
中にある何かに氣づいていくことだなと。
何のために「氣づいていく」のかというと、
自分自身の幸せと成長のため。
誰かが幸せにしてくれるのではなく、
自分が自分自身を幸せにしていくことだと思っています。
そして、氣づいていくには
意識的でいることが大切だと感じています。
では、どうしたら意識的でいられるのか?
長くなったので、続きは次のエントリで!