後づけの理由でもいいじゃない?

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
Aihal-Sophia【アイハルソフィア】いがまゆみ です

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こんにちは

昨日は暖かかった盛岡。
今日は寒氣が入ってくるので寒くなる予報。
日一日と冬に近づいています。

さて。
先日のオールリバランス体験会での出来事について
少し書いてみたいと思います。

意味がないと断言されたこと

ibマッピングをしているときのことです。

「なぜそう思ったんですか?」
「そう思った理由を教えてください」
「どんな感じがしますか?」

一人一人お話を聞きながら質問をしていきます。

問いかけることで、その方の頭の中にあるものを
引っ張り上げていくというか
掘り出してもらうのがibマッピングです。

その最中のこと。

「こんな答えは後づけの理由だ、意味がない」
そう言われました。

私は、「来たか…」と思ったんです、その時は。

後づけでなにか問題でも?

ショックを受けたわけではありません。
正直な話、その通りだよな…と思いました。

ただ、それだけではないのもわかっていました。
けれど、それをうまく自分の中で消化できていなかったんです。

体験会が終わってからも、ずっとそのことを考えていました。

言った人を悪く思うこともなければ、
自分のことを未熟だと思うこともなく。
ただただ「後づけの理由」のことだけを考えていました。

自分がものごとを考えているときに
私自身の中で何が起こっているのか、
どんなことを感じながら思考を働かせているのか、

そんなことを思い出しながら考えていました。

ふと、思いついたのは
「後づけの理由でいいんじゃない?」だったんです。

何かをしていたり、何かを考えたり。

そのときに感じたことは、意識していない限り
そんなに覚えていられるものではないです。
少なくとも私にはそう思えます。

だから、後でも、もう一度「意識する」ことで
自分の中を「観る」「照らす」ことができる。

それは自分をある程度客観的に見ることにつながります。

自分を物語の主人公のようにみて
「この人は、どんなことを感じていたんだろう?」
と、本を読むように感じてみるのが私のやり方。

自分でありながら、自分から離れてみる。

私には昔からやり慣れた方法だったので
言われるまで氣がつかなかった部分でした。

奥に隠れた、自分でも氣がつかない思い

件の方は、わざわざ寄って下さったんです。

興味が湧いたから、と言いながら
「話すことはない」と言い切る方でした。

「話すことはない」といいながらも
私の質問には答えてくださっていました。
そして先のやり取りが始まるわけなんですが。

「話すことはない」わけではなく、
「聞いてもらいたい」ことはあるのです。

ある「テーマ」としては話したいことはないけれど
「自分の思い・持論」を聞いてもらいたい、
だったのかもしれません。

ひとしきり、心理学についてとか、
あなたは臨床心理士なのかとか
スクールカウンセラーは、
とかの持論をお話してくださいました。

聞く方に集中したために書くのがおろそかになって
「書いてないじゃないか」とお叱りもいただきましたが(笑)

溜まっていたものを外に出したせいなのか
なんとも毒氣を抜かれたような、
妙にさっぱりしたお顔で帰っていかれました。

最初に来られたときは
「ちょっと揉んでやろう」的なお顔でしたから(笑)

その方は「自分のことをわかってもらう必要はない」
ともおっしゃっていましたが
言葉とは裏腹に、「わかってもらいたい」思いが
あるのではないかなと感じました。

それは誰でもいいわけじゃなくて、特定の人に。

さいごに

こんな「感じ」も後づけかもしれないです。

けれど、その「感じたこと」を取り上げることが
自分自身を見ていくことだと思うわけです。

今回は私がそのことを説明しきれなかった、
わかってもらえるように話すことができなかったわけですが
それもいい経験でした。

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