以前、友人からこんなふうに言われたことがあります。
「いがさんて、性善説なんだね」
えっ?
ちょっと驚きましたが、確かに基本的にはそうです。
どんなシチュエーションで言われたかは忘れましたが、
改めて言われると
その言葉で表すにはあまりにも単純すぎるよなぁ、
と感じたものです。
性善説とは?
さて、性善説とはどういうこと?
性善説(せいぜんせつ)とは、人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説。とくに儒教主流派の中心概念。人の本性に関する考察は古今東西行われてきたが、「性善説」ということばは儒家のひとり孟子に由来する。
(中略)
なお、今日「性善説」という言葉は「人は本質として善であるため、放っておいても悪を行わないとする楽天主義」という意味で用いられることが少なくないが、本来は正しくない。以下に解説するように、孟子も朱子も、人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、「聖人の教え」や「礼」などによることが必要であると説いている。
wikipedia 「性善説」冒頭より(太字はいがが付与)
私が思っている「人間」は、この太字の部分と合致します。
罪を犯す人もいれば、平々凡々と暮らす人もいるし、
聖人君子になる人だっています。
私自身「善人か?」と聞かれれば、
とてもじゃないけど「はい!」とは答えられない。
そういう意味では、性善説というよりは
性「中庸」説と言ったほうが
ニュアンスとしては合っているかもしれません。
一方、冒頭の友人の言葉に込められたニュアンスには、
「人間はそんなにいいものじゃない」
があるような氣がしていました。
(本人に突っ込んで聞いていないので本心はわかりませんけどね)
なので、切り取る箇所の違いで
見え方が違っているだけなのかなと考えています。
十人十色だから興味深くて面白い
いろんな人がいます。
それこそ、考え方も生活も全然違う人がたくさん。
それぞれの物語があります。
それぞれにいい話も悪い話もたくさん。
そのいろいろな話を聞くってとても興味深い。
明らかに盛って話す人、
それが高じて嘘なのに自分で本当と信じて話す人、
いい話をしてくれる人、
人や本からの受け売りだけで言葉をつなぐ人、
さまざまです。
お話を聞きながら、
この人の話はどういう思いから出てくるのかな?
どんな経験からこんな言い方になるのかな?
別の視点はあるのか無いのか?
そんなことを頭の片隅に置きながら聞いていると、
けっこういろいろなことに氣づきます。
私ももしかしたらその人みたいに考えるかもしれないとか、
その話に出てくる相手の氣持ちが手に取るようにわかるとか。
とにかく興味深くて、誤解を恐れずにいえば面白いです。
自分の振り返りにもなったりしますし、
そこで得たエッセンスを別の人に話して参考にしてもらえたりします。
受け止めてもらえたから、私もそうなりたい
この興味は結局のところ、
「私は人間が好きなんだ」と思っています。
思春期の頃あたりには、
ちょっと道を踏み外すと執拗に追及してくる人から
逃れたくて、山にこもって一人になりたい…
なんて思ったこともありましたが(笑)。
私のダメダメ話を聞いてくれる先輩たちが
何人もいてくれたおかげで、
あぁ、話していいんだ、
こんなダメな話をしても笑い飛ばしてくれるんだ
と思えたのがきっかけかもしれません。
「へー、そうなの!いいんだいいんだ、何でもアリだよ!」
って感じでした。
今思えばその方たちも一風変わっていて(笑)
いろいろな経験をされてきたから
私の与太話をどーんと受け止めたくれたんだなぁと思えます。
基本的にサバサバした優しさを持ちつつ、
ちょっとの毒も持ち合わせる。
私も、そんなふうになりたいのかもしれません(笑)