メメント モリ(死を想え)

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
Aihal-Sophia【アイハルソフィア】いがまゆみ です

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Facebookに、小学校からの友人が
恩師が亡くなったことについてアップしていました。

私にとっても恩師の先生で
彼女が綴る想いを読んでいると
「あぁ、先生なら間違いなくそう言うなぁ」
と感じて、先生の声を思い出していました。

何度も書いていますが
父を介護、看取ってからは
「死」をむやみに怖れるのは無くなりました。

そのきっかけを作ってくれたのは
実は父ではなく、先代の飼い猫のおかげ。

その猫は病氣で死んだのですが
かなり進行するまで全く氣づかなかったので
病氣がわかってから、私は自分を責めました。

死ぬ、とはどういうことなのか
それがはっきりとはわからないわけですが
少なくとも、
温かくてフワフワの毛皮を着た愛猫に
もう2度と触れなくなる、会えなくなるのが
たまらなく苦しかったのです。

寂しかった。
今までいつもそばにいたケモノがいなくなるなんて
考えただけでも辛くてしかたありませんでした。

毎日家に帰ると泣き暮らしていて、
猫はまだ生きているのに
死んだら、置き去りにされるように感じていました。

私自身の氣持ちをどう扱えばいいのかわからず
スピリチュアルや精神系の本を読み漁りました。

ちょうどその頃、江原さんと美輪さんの
「オーラの泉」が流行っていた頃だったので、

彼らの本を何冊も読んだのを覚えています。

そのうちに猫が死を迎えると
読み漁った本の知識と共通することを体験し始めました。

家の中にフッと治療薬の匂いがただよったり
目の端に猫の姿がチラッと見えるようになったり。
(猫の霊を視ているわけではありません)

姿は見えなくなっても
そこらへんにいるような感覚を覚えて
そばにいるんだなと感じていました。

この時と同じ感じを
父が亡くなった時にも持ちました。
亡くなって悲しいのは確かなんですが
肉体から抜け出た父が、どこにでもいるように感じました。

そこからだと思います。
どこにでも父がいるんだと思ってから
「人や動物の死」を怖れなくなりました。

思い込みかもしれません。
ですが、それでいいじゃありませんか。
私がそう思っていることが大切だから。

自分の「死」は焦りとともに怖れることはあります。
まだ死にたくない、あれもこれもしたい、と。

でも、私もいつかは必ず死ぬ。

だからこそ、今を充実させたいと思っています。

姿は見えなくなっても
父や恩師の存在を感じられるのだから
お天道様に顔向けできるように
自分を恥じないように生きたいと思っています。

メメント モリ
memento mori

ラテン語
「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」

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