こんにちは
引越しをしてからというもの、断捨離モードに入っています。
引越し先の収納は以前のものとほぼ変わらないので
そのまま入ることは入ります。
ところが、火がついたとしか言いようがないんです。
そんなにガッツリと捨てているわけではありませんが
自分に必要なのかどうかの判断が変わってきたようです。
断捨離と出会ったものの…
もともと片付けるのは苦手な私。
出版された当時、断捨離の本を読んで感激したものです!
場所も身体も通りを良くした方がいいんだ!
それならやってみよう!
…ですが。
実際に取り組もうとすると
氣持ちが残るというか、惜しんでしまうというか。
溜め込みくせがムクムクと湧いてきてしまいました。
本当に不要なものは処分できるのですが
他のものは迷うことの方が多くて
スッキリ、というわけにはいかなかったです。
恥ずかしながら…
今もそれはあまり変わっていないのですが
引越しの最中から、なんというか、
執着しなくなった感じがあって
手放すことの罪悪感が薄くなった氣がします。
少しずつ、本当に少しずつですが
収めた荷物の中から手放せるものを処分していってます。
間に合わせで買ったバッグ
買って満足していた本
まだ着られると思い込んでいた服…などなど。
目についたときに1つずつでも処分するようにしました。
要は自分の意識の問題だったと氣がつくと
新しいところはやっぱりキレイに使いたい
という氣持ちがあるのは間違いないのですが
新居でやりたいことが決まっていたのが
一番大きい理由だと思うんです。
そろそろ引っ越して1ヶ月経ちますが
やっと、この家とどうつきあっていくのかに
意識が向くようになったからなのかもしれません。
意識が向くと、「こう在りたい」という形が
頭の中に浮かぶようになりました。
いえ、今までも頭の中に浮かんできてはいました。
でもですね。
面倒だなぁとか、まぁいいか…と放り投げてしまっていたんです。
だから、「こう在りたい」よりは
「こうだったらいいな」に
してしまっていたのかもしれません。
とっても他人任せな感じですが、
ありがちなことだと思います。
今まで何度もやってきていますから。
今回は氣持ちの向いている方向が違っているみたいです。
まっすぐ自分の目標に向かっている感じ。
それは、「こう在りたい」形が現実味を帯びているから。
そして、「やれば変わる」ことを実感したから。
現実味を帯びているのは
自分自身で「こう在りたい」を決めたからでした。
自分で責任を取ることにした、と言い換えてもいいでしょう。
「こうだったらいいな」では弱かったんですね、動機が。
「こうしたい、こう在りたい」とはまったく違うのだと
やっとわかった氣がします。
さいごに
決めたら、処分するのがたとえ1つでも満足感があります。
自分が動くことで、一歩ずつ目標に確実に近づいていると
確信できるからだと思います。
断捨離ってこういうことだったのか、と
今さらながら感心しています。
それにやっと氣がつけた自分にもご褒美をあげたいです。