原爆の絵 〜私はどう感じるのか〜

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
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先日、NHKのドキュメンタリーで
「原爆の絵は語る〜ヒロシマ 被爆直後の3日間〜」を見ました。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92919/2919590/index.html?c=archives

「原爆の絵」というタイトルで思い出すのは
小学校の図書館にあった「原爆の絵」の図説でした。

原爆の絵を最初に見た日

私がその本を見たのは、確か小学校の高学年だったような。

絵はショッキングでしたが、もう2度と見たくない!とは思わず、
氣になって何度か見たことを覚えています。

原爆の絵のプロジェクトが始まったのが昭和49年と50年。
ちょうど私がその本を見たのもその頃でした。

赤黒い肌の裸の人間が、腕を前に突き出して歩いている様子や
川の中におびただしい数の人間が積み重なっている様子、
赤や青や緑に膨れた水死体の様子は
その当時から30年経って、プロの画家ではなく、
被爆者自身が自身の記憶に基づいて描いたものです。

トラウマになりそうな絵ですが
なぜかそんなことにもならず、むしろ食い入るように見ていました。

その絵を見てから30年以上経った今、
大人の経験を踏まえて見ると、子供の頃とは違った感じ方をしています。

再び見た「原爆の絵」が私に語るもの

番組を見ていて感じたのは、
私が今、戦争について知っていたり、教わって来たりしたことは
そのほとんどがアメリカ視点の内容だったということ。

原爆のキノコ雲も、あれは投下した飛行機から撮った映像です。

アメリカ側は実験記録として残すつもりだったので
最初から記録機器を持ちこんでの投下だったわけです。
単なる爆撃ならカメラなどは持っていかなくていいのですから。

日本側には当時の写真は残っていません。
被爆者の記憶に基づいた絵が、写真以上に生々しく語ります。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92919/2919590/index.html?c=archives

黒煙の上に丸く浮かび上がるキノコ雲。
キノコ雲を形作る無数の鞠のような虹色の煙の塊。

その絵を見て、その昔、ルパン3世の映画に出て来た
マモーの脳が宇宙をバックにアップになるシーンを思い出しました。

人の考えの浅はかさが重なり、なんとも言えない氣持ちの悪さを感じました。
吐き氣が伴うほどの氣持ちの悪さでした。

戦争とは言え、一般市民をここまでひどく巻き込んだ異常さを
私はどこか「仕方ないもの」と思っていなかっただろうか?
そんなことを感じていました。

「もう二度と繰り返しませんから」

「本当はどういうことが起こっていたのだろう?」

私はどれだけ本当にあったことを知っているのだろう?
その出来事を、今の私はどうとらえるのだろう?

いろいろな本を読んだり、ドキュメンタリーを見たりして思うのは
やっぱり「知る」ことだと思うのです。

しかも、ある特定の見方だけではなくて
あらゆる方向からの見方で多角的に知る必要があると感じています。

それは戦争、原爆投下、ということだけではなく
「人が死ぬ」とはどういうことなのか、
「助けられなかった人が持つ罪悪感」がどれだけ辛いことなのか、
「その後の差別に苦しんだ人々」がなぜ生まれたのか、
まだまだ上げることはできますが、
それらを知って、私なりに咀嚼する時間が必要だと思っています。

同じことを繰り返したくないし
他人事にもしたくないから。

自分が動けば知ることができる時代にいるのに
「知らなかった」で済ませてしまいたくないから。

かさこさんのセミナーで、かさこさんが言っていた
「死を思え」

今、自分に引き寄せて考えています。

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