わかることと認めることは違う

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岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
Aihal-Sophia【アイハルソフィア】いがまゆみ です

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こんばんは

無理をしないのが一番なのですが
動けていた頃の記憶を頼りにしていると
「あれ、なんか違う」
という感覚をやり過ごしてしまいがちです。

今回ダウンしたのはまさにそんな感じでした。

「あれ、おかしいぞ?」と感じた時は
すでに休むタイミングを逸していたようでした。

意識することが大切と自分でもわかっていても
こんなふうになってしまいます。
人間て弱いなぁ。
いえ、私ですね、弱いのは。

弱い自分を認められる?

さて。
そんな弱い自分を認めることは出来るでしょうか?
私は「弱い自分、もろい自分」を認めているようで、
認めていませんでした。

自分には弱っちくてもろいところがある。
というのはよーくわかっていました。

それはそれは昔から。
ほんとに子供の頃から。

わかっているのと、認めていることが違うと氣がついたのは
ここ数年のことです。

わかっていたのに私は自分を必要以上に下げていました。
「私なんてどうしようもないヤツだ」
「こんな私は値打ちのない人間だ」とね。

もちろん、そんな自分を好きになれませんでした。

いえ、好きなんだけど
人から認められないであろう自分を好きになれなかったんです。

「もっと氣が利けば人から好かれるのに」
「もっとおおらかなら人に優しく出来るのに」
「もっと…」
「もっと…」
「もっと…!」

自分のできていないところをあげつらって
余計に自分自身をおとしめていくというループに
自らはまっていました。

いいことが続く時はそんなことを考えもしません。
悪いことが続くと、このループが延々と繰り返されるのです。

特に、誰かから何かを言われると即ループ入り。
ガッツリもんもんと落ち込みます。

氣がつくことで認められるようになる

あまりにも慣れ親しんだループなので
氣がついた今でも、うっかりするとハマります。

でも、氣がついたんです。
開きなおっていいんじゃないかって。

「私、弱っちいし、もろいんだよ。」
「どうしょうもないヤツだよ。」

本当のことだもの。
ただ、氣がついたから、ループを抜け出せたんです。

そして私なりにたどり着いたのが
「弱っちくてもろい。で、私はどうしたいんだろう?」
「こんな自分なんだ。だからどうしようか?」
ということ。

自分をとことん守ってもいい、
そのために人を傷つけたとしても。

頑張って強がって見せてもいい、
そのために自分が消耗したとしても。

わかった上で、自分がどうしたいのかを決めることが
実は認めることなのかなと思います。
私的にはですが。

決めるのは常に自分自身

この「決める」は、自分自身にしかできません。
誰も替わってくれないし、替われるはずもないのです。

「自分自身の王国の王様になる」と言った友人の言葉。

なんて素敵な言葉なんだろうか…

他人任せにしない姿勢。
全ては自分が選ぶことだと知っているからこそ出る言葉。

この言葉を聞いたときに
私が望む「在り方」はこの言葉で表せるんだなと
直感的に思いました。

さいごに

私、弱いです。
私、もろいです。
いろいろあります。

でもいいんです。
それでも生きてますから。

「生きてるだけで丸儲け」
それなら、あとの人生はできるだけ楽しまなきゃ!

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