こんにちは
ここ数ヶ月、身近な人たちから同じような言葉を何度も聞きます。
特に夫から。
その言葉とは「氣づくこと」
「自分で」氣づく
夫は職場などで若い人を継続的に教えることがよくあります。
そこで何度となく口にするセリフが
「自分でよく考えてみて」
もちろん基本的なことは教えます。
危険なこと、やってはいけないことはあらかじめ注意として伝えます。
そして、やり方も説明をして、実際に夫が一度やって見せた上で
上記のセリフを口にするそう。
ここでボー然とする子は使い物にならないそうです。
やる前に根掘り葉掘りあれこれと聞いてくる子もアヤシイらしいです。
見てませんでした
よくわかりません
もっとていねいに教えてください。
そんなことを言う子も多いらしいのですが、
夫が直接教えている子の中にはいないのでホッとしています。
初っ端から上手くいくはずはありませんが、
チャレンジしてみる子はマシ。
案外と伸び代のある子は、
見たことや聞いたことを自分なりに考えて
やってみる子だそうです。
その時にテキパキやるか、ノンビリやるかは問題ではないとか。
まずはその子なりのペースで考えて実際にやってみる。
これが伸びる要素を持っているんだと私に教えてくれました。
昔の私ならやれてなかったなー(^^;; と内心冷や汗をかきながら
話を聞いているのですが
その時に「氣づく」という言葉を連発します。
「体験するから氣づくんだよ」
「本人が氣づかないと伸びない」
「俺は氣づくってことが大事だって思うんだ」
本人が氣づけるように「待てる」夫の方が私はすごいと思う…
もちろん、いつまでも待ってるわけではありませんが
この「待ち方」が絶妙なんです。
スパルタでしたが、身になりました
私達夫婦はもちろん昭和の生まれで、
昭和の教育を受けて来ているので、
考え方のベースもがっつり昭和です。
考え方が昭和、というのもザックリですがww
学生の頃や社会に出てからも、
いわゆる職人みたいな教え方をする人と過ごすことが多かったので
「俺の背中を見てろ。できれば盗み取れ」
的な教わり方をしてきました。
メモを取るな!と言われたときもありましたし。
そんなときは
もう目を皿のようにしてガン見したり、
耳をダンボのようにして注意して聞いたり。
そこから私達が得たものは
「自分が見て聞いて、やってみたことは忘れない」
「その体験を基に応用することができる」
でした。
自分の血肉になるまでやってきたことだから
噛み砕いて説明することもできるし、
例をあげたり、例えを替えたりしても説明することができます。
そんな夫が嘆くのは、みんな簡単に答えを求めすぎるということ。
私にもそういうところはあります…。
でも!
でもです。
自分で見て聞いて、考えてやってみたことはホントに忘れない!
体感することの大切さと楽しさを、身をもって知ってからは
敢えてその過程を楽しむようになったんです。
なかなかわかってもらうのが難しくて
説明に苦労することが多いですが。
やっぱり「自分」がやるしかないの。
教わるのはみんな上手。
一心不乱にメモを取るし、きれいにノートもまとめる。
「わかりましたか?」と聞かれると「はい!」といいお返事。
けれど「教わる」のと
「自分でやってみる」がうまく結びつかないのかも。
失敗するのがイヤ、恥ずかしい。
怒られるのがイヤ、みっともない。
できない自分がイヤ、ありえない。
よーく、よーくわかります。
私もそうですから。
「どうしたら、その一歩が踏み出せるんですか?」
と聞かれることもあります。
「あなたがやると決めるしかないよね」
誰もあなたの代わりになってあげることはできないから。
誰かのせいにしている限りは
ある程度しか上達しないし、深みも出てこないと思います。
その人が「自分で」やると決めて
考えてやってみて、
失敗したら、「どこをどうしたら上手くいくのか?」を
本人が一生懸命考えることで、
その人の深みが出てくると思っています。
そんなオリジナリティーが見えてくると
その人にも自信が出てくるなぁ、と最近は思っています。
さいごに
夫が今教えている子。
伸び代のある子のようです。
毎日のようにその人の話を聞かされますが 笑
私にもその成長が想像出来るほどになっているのが楽しいです。
頑張っている様子や
一生懸命やっても失敗してしまって凹んでいる様子も
その人がたどっている道のりを垣間見せてもらっているので
私の方がワクワクして聞いています。