先日のエントリで
「かわいそうな自分」をやめる宣言をした私ですが
最近、やたらと「被害者ぶらない」とか
「他人のせいにしない」とかの
フレーズを見聞きします。
流行ってるんですかね?
だとすると、流行に乗った!?
などとおバカなことを言ってる場合ではなくて。
なんとなくですが
「自分のスタンスを決める」
時期に来ているのかなと思っています。
私はこれから「どんな世界」にいようと思っているのか?
どうも、これを自分に問う時期が来ているのかなと。
それもですね
「私、◯◯になりた〜い!」とか
「◯◯できる人になりた〜い!」とか
そういうレベルの話じゃないような氣がするんです。
もっともっと根源的なもの。
よく言われる話ですが
人間は幸せになるために生まれてくるとか。
究極、みんな「自分が幸せに生きられる」世界を望んでいる。
それなのに、目先のことに囚われ過ぎているように思えます。
また、反対に大きなこと、高邁な理想を見出してしまって
自分自身の現実と乖離してしまっているようにも思えます。
私もまだまだそうですけど。
本当は、すごくシンプルなことかもしれない。
あなたはどんな時、どんなコトで「幸せを感じる」?
幸せになるために生まれてくるのだとしたら…
「自分が幸せを感じることは何か?」
を知らなければ、幸せになりようがないじゃありませんか。
でも、これがなかなか一筋縄じゃいかない場合があります。
「自分が幸せを感じる」と思っていることが、
本当に自分が感じているわけじゃない場合があるからです。
頭で考えて「幸せだと思う」のと
ココロで「幸せだと感じる」 のと
身体が「幸せでくつろぐ」のとが一致していない場合
もしかしたら、「刷り込み」「思い込み」かもしれないからです。
あなたが幸せだと思っているコトは
本当にあなたの幸せでしょうか?
自分の本当の思いに氣がついていますか?
私が若い頃によく言われていたのが
「いい学校、いい会社に入るのが幸せ」
必ずしもそうじゃないですよね。
(はなっからそんな生活、送ってもいませんが 笑)
いい学校って、「何が」「誰にとって」「何のために」いい学校?
いい会社って、「どんなところが」「何をしているから」いい会社?
その答えって、人それぞれだと思います。
親が考える「いい学校」とあなたが考える「いい学校」は違うのでは?
同じ場合、本当に同じなのかを自分自身に確かめてみるといいと思います。
自分に対して質問をしてみてください。
「なぜそれをいいと思うのか?」
「親の言う“いい◯◯”を自分は本当に受け入れているのか?」
違和感なく、理由もしっかり出てくるようなら同じなのでしょう。
もしも、少しでも胸のあたりがチクッとしたり
理由があやふやだったりしたら、本音が違っているのかも。
第三者の視点を通すことで見えてくるものがある
本当の思いに氣がつきたくない人は、
そのままでいいんだと思います。
氣がつかないふりをし続けたとしても、
外部からあなたを責める人は本当はいないですから。
みんな、本当は自分のことで精一杯。
人を責めるとしたら、
自分のことに向き合えないから外に目がいく人。
自分がそうだったから、よくわかります(汗)
ただ、自分の本当の想いに氣がついたとしたら…
自分の生活を今までと同じままでいるのか、
それとも、その氣づきをこれから活かしていこうとするのか。
自分が何を求めているのかを自問自答して、
自分で選択することが大事だと思います。
ですが、これが一人ではなかなか難しい。
頭の中がグルグルするだけで、まとまりにくいです。
そして、結局「自分には無理だ…」とやめてしまうパターンに陥りがち。
そんな時に必要なのが「客観的な視点」なのです。
誰かにふと言われた一言が打開策になるのはよくあることです。
それが例え、とてもとてもシンプルな疑問だったとしても。
あれ?そういう反応が来るんだ?
たったそれだけでも視点が変わるきっかけになります。
視点を変えるきっかけに
Aihal-Sophiaを利用していただけると嬉しいです。