サイトの中身を少しずつリニューアルしています。
今の私が何に意識を注いでいるかを反映するように、内容にも手を入れています。
実は私に向けている言葉
手を入れているコンテンツ中に「自分の人生を自分の手に!」というサブタイトルをつけたページがあります。
そこでは、
のっけから「被害者意識」という刺激の強い言葉を使っています。
最初にアップした時からそうですが、実はこの言葉、私以外の誰かに向けて書いているのではありません。
私自身に向けて言っている言葉なんです。
そして同じような思いをしている人がいるのなら、考え方や捉え方を変えていくと解消できるんですよ、と情報共有してもらえればと思ってのことです。
被害者意識はいくつも出てくる!
さて。
被害者意識を持たないように、加害者を作り出さないように。
自分自身に向けて書いている理由、
それは「いい人」になりたいからというよりも、私自身を律する必要があるからで。
つい先日、まだまだ私にも被害者意識があるんだなぁと実感した出来事がありました。
意識していなかったパターンに氣づいた瞬間でしたね。
そのパターンとは
「相手の言い分も受け入れるけれど、私が感じているモヤモヤを理解してほしい」というもの。
今回のモヤモヤ、しばらく頭の中を占めていました。
そのことを考えれば考えるほど「相手にどう伝えようか」のシミュレーションをし始めるし、その内容もだんだんとエスカレートしていきましたし。
しかもですね
そのモヤモヤを感じるきっかけの出来事自体は、以前にも別の相手ともほぼ同じパターンで起きていたものでした。
同じパターンを繰り返している
今回の出来事を振り返ってみると
「あ、同じようなシチュエーションだな」
と途中で氣づいていたことを思い出したんです。
なのに、自分の直観を思考で否定していたんですよね…。
期待があったから。
「いや、元の話に戻るはず…」って。
その期待がスカされたモヤモヤをどう解消しようかとぐるぐるぐるぐるずっと考え続けていたんです。
2時間くらい。
そこまで来て、今回ハタと氣づきました。
「あれ?もしかして私、傷ついたって思ってるのか?」
おやおや、そう思ってるのは「小さな私」じゃないの?
ぐるぐると巡る思考の発信元は「小さな私=エゴ」だったんです。
だとしたら、それは一旦脇に置いといて。
「本当は私、どうしたいんだろう?」
そこに意識を向けました。
【事実】誰も私を傷つけていない
(直接嫌いとかあなたが悪いとか言われていない )
【妄想】自分が悪いんじゃないか?嫌われたのでは?などと考えた私。
↓
それはそもそも私が自分を信じていないからそう思うのでは?
【在り方】事実を踏まえると、どこも少しも傷ついていないのだから感じたモヤモヤは妄想の産物。
相手とはこれからも誠実につき合っていきたい。
あ〜、この思考が今まで出て来てなかった!
「誠実につき合っていきたい」と思うのなら、相手の申し出を快く受け入れればそれでいいだけのこと。
そう思えたら、どれだけエゴまみれの浅い思考に囚われてたんだろうと急に可笑しくなって笑っちゃいましたね。
そうしたら心のモヤモヤもすっかり無くなってスッキリ!
被害者意識を作り出している「私のパターン」に氣づく
最初は全然モヤモヤなんてなかったんです。
なのに、過去の同じパターン(別案件)を思い出してしまってからモヤモヤを生み出していきました。
そのモヤモヤ・鬱憤を手っ取り早く解消するには?と繰り返し考えることが被害者意識をどんどん膨らませていきます。
視野の狭い意識を自分で生み出しては膨らませていく
その流れにまったく「氣づかずに」自動的に思考していたと氣づきました。
危なかった〜!
私また「加害者」を作るところでしたよ!
無意識にやってたってのがまた危ない!
ここ最近は、被害者意識に陥りそうになっても
「お、これは被害者意識が出て来たよ〜♪」
と自分で氣づいて回避できていたんです。
ですが無意識のパターンにひきずられると、いとも簡単にモヤモヤを作り出すし、あることないこと膨らませていくものなんだと実感しました。
いつもご機嫌で在り続けるために選択する
実は恥ずかしい話ですが、このモヤモヤを膨らませていくのって氣持ちいいんです…。
妄想の中だけれど感情の捌け口になるから。
この気持ち良さはくせものですねぇ…。
ある種の快楽なので、一時的とは言えうっかりとその思考にはまり込んでしまいます。
ちょうどそんな時に氣になっていた本を読みました。
「グッドバイブス ご機嫌な仕事」
ここしばらく私が考えていることがそのまんま書いてありました。
そして、このエントリ内容、つまり最近私が体験したこともそのまんま解説してあったんです。
巡り合わせとしか言いようがありませんが、このタイミングで読むとは…って感じです。
この本についてはまたエントリアップするつもり。
詳細はその時にしますが、この本を要約すると
「いつでも自分がご機嫌でいられる選択をする」ということ。
瞬間的でしたが、まさにそれを体験できました。
これを忘れないこと、そしてご機嫌でいる選択をできるだけやり続けること。
それが「今」の私のやることなんだなぁと感じています。