今までに何回かご紹介しているfuru-t さんのブログ。
今回はこんなエントリがアップされていました。
ということで、自分はこういう授業をしたい。
道徳という形をかりた「てつがく」を。
みんなで形のないものを形にして、それをすり合わせていく授業。抽象的な概念を自分なりに形にする。
これって奴隷にならずに学び続けていくために大切なことだと思う。
エントリの最後にこう書かれているのを読んで
私が興味を惹かれるのもここかもしれない、と思いました。
たまたまですが
最近、故 池田晶子さんの著作を読んでいて
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furu-t さんのエントリを読んだときと同じように感じました。
形がないわけではないけれど
茫洋としてつかみどころがあるような、ないような…
それに「今の」自分が思う形をつけていく、
「今感じていること」を表現する。
それが「自分を知る」ことだと思います。
残念ながら、
言語化するとニュアンスが違ってしまうこともあります。
それでもその違いを、
何が違うのかをわかるようにするのも必要。
それが自分の思いにより近づく一歩でもあるからです。
軌跡を残しておくのは
過程がわかるように。
すり合わせていくときこそ、その過程が活きて来ます。
furu-t さんが「子どもだからこそ必要なの。」というように
私は「大人になっても必要なの。」と思います。
自分の思いを汲み取る大切さは
子どものときだけじゃなく大人にだって必要だから。
いつか消えてしまうもの。
いつか変わってしまうもの。
だから、それらに向き合っていくことが自分を輝かせます。
自分を知るって簡単なようで簡単じゃない。
でも、難しくてできないことではない。
凹んでも何しても、ただ淡々とやり続けていくこと。
きらびやかでもなければ、華やかですらない。
でも、その時間の積み重ねが必ず自分を輝かせます。
これも「形のないもの」を「形にする」のと同じ。
オーラソーマのカラーボトルはあなたの思いを映し出すから。
あなたの中にある
まだ「形のないもの」を「形」にする機会を
Aihal-Sophiaのオーラソーマコンサルテーションで始めて
続けてみませんか?