こんにちは
先日は夏休みを兼ねて、実家に帰ってきました。
結婚以来、真夏に実家に帰るのは
昨年の父の四十九日も含めて2回目。
今年は昨年よりも暑く感じました。
夜も暑い夏は久しぶり。
かなり湿氣のある夏の暑さを、今さらのように
懐かしく感じていましたが
やっぱり身体には堪えたみたいです。
知らず知らずのうちに人の役に立っている
帰省中は母に頼まれた仕事をあれこれとしながら
昔話をいろいろと聞いていました。
何度も聞いて知っている話もありましたし、
初めて聞く話もありました。
そんな話の中ですごいなと思ったのは、
父の闘病中と、葬儀のときの出来事が
それぞれ同じようなケースの人に対して
役に立っていたというのを聞いたことです。
*一つは闘病中*
本手術後に肺炎を起こして氣管切開をしたのですが、
その最中、病棟中の看護師さんたちが力を合わせて
対応してくれたのだそうです。
対応してくださった方はみなさん、助からないと
思っていたとのことでしたが、一命を取り留めました。
母は看護師として仕事をしていましたので
父の状態を見て、氣管切開をしてもらいたいと頼んだのだそうです。
その判断は適切だったようです。
その後も氣管に入れた管が外れることはないだろうと
思われていたようですが、これも二週間で外すことができました。
父のような高齢の患者の中では珍しかったようです。
そして父が亡くなってからですが、全く別の患者さんで
父とほぼ同じケースになった方がおられました。
父のときに対処してくれた看護師さんたちが、口を揃えて
「お父さんのケースを体験していたので、
別の患者さんにもいい対処ができました」
と言っていたと聞きました。
*もう一つは葬儀の際*
父は生前から献体を希望していました。
そのため、葬儀のときは火葬をせずに
大学へと搬送することになります。
その前処置としてエンバーミング
というものをしてもらいました。
要は防腐処理ですね。
うちの場合、部屋の温度を下げなかったために
防腐処理がちゃんと効かず、腐敗が進んでしまいました。
葬儀社に再度連絡し、来てもらうまでの間に
遺体に出来るだけの処置をして、
再度防腐処理をし直してもらうことができました。
最終的にはキレイな状態で葬儀を済ませることができたのです。
葬儀社さんでも献体を扱ったのが初めてだったようで、
この経験があったため、今度は別の方が献体をされるときに
きちんと対応が出来て喜んでいただけました、
と後で教えていただきました。
実際に体験することと「想像する」ことの大切さ
どちらのケースも、実際に身内で体験するのは初めてでしたが
どういうことが起こっているかを理解していたので
ある程度適切な対処ができたのかなと思っています。
私の母は看護師をしていましたし、
私と夫は生き物を扱う勉強や仕事をしているので
生死に関わることは、おそらく一般の人よりも身近に感じています。
生き物が生きるということ
生き物が死ぬということ、はもちろんのこと、
自分に近しい存在の生死にも何度か関わってきたので
突然のことにもあまり感情を揺らすことなく対応していたと思います。
そのことが、病院でも葬儀社でも
「あの時体験できて良かったです」
と言われる理由になっていたようだと
母に言われました。
私たちが動じなかったこと、
いや、揺らいではいたのですが
その底にあった余裕のようなもののおかげで
取り乱すことなくいられたのだと思います。
そのことが他の方へ伝わったのかもと思うと、
感慨深いものがあります。
実際に近い状態を体験して知っているから、
ということもありますが
「想像する」ことも大切なことかもしれないと思いました。
父の死もそうでしたが、
そのときに起こるかもしれないことを想像してみる、
起こりうることを考えてみる、ということが、
実は心構えを作るのかなと思ったのです。
考えたくないこともあるかもしれません。
けれど、事前に一度でも想像したり、考えたりしておくことは
実際に体験したときにあわてず、
心のどこかに余裕が残る状態になる氣がしています。
さいごに
昨年の父の闘病中はもう無我夢中でしたが
そのときには意識していなかったことを
今になって言葉にできるようになっています。
辛いことがあっても、後で客観的に振り返ってみる。
これが「日にち薬」というもののなせるわざかもしれません。