昭和臭のする我慢?それとも先を見越したがまん?

シェアありがとうございます!

岩手県盛岡市のオーラソーマサロン 
Aihal-Sophia【アイハルソフィア】いがまゆみ です

■ お知らせ ■ *日曜セッション会@アイーナ
  9月13日,10月 4,11,18日 
  施設の場所予約の関係上,10日前までにはご予約ください
  ➡ ご予約はこちら

*開催イベント
 「緑のおくりもの」➡  お知らせはこちら
  詳細はお知らせでご覧ください

*お問い合わせもお気軽にどうぞ! ➡こちら

【この記事は約 3 分で読めます】

先日のパスワークで出てきたワード、

「昭和臭のする我慢」

私もそうですが、
これ、無意識にやってるくらい染み込んでます。

我慢してナンボ
自分を殺してナンボ

それが美徳だったし、当たり前と思って生きてきました。

「我慢」を辞書で引いてみると

感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。
辛抱すること。

(三省堂 大辞林より)

確かにこういう意味だと思って使ってきましたからね。

こういうタイプの「我慢」って、もう必要ないんだろうね、
そんな話をしてきて、ワードが頭にこびりついていました。

じゃあ、「がまん」って何なんだろう?

最近読んでいるブログにヒントがあったように思いました。
そのブログはこちら。

儀式ではなく修練をすべきでは。 | 植松努のブログ

『儀式ではなく修練をすべきでは。』
今日の北海道は、おだやか。まだ台風の残りみたいな雨雲が日高山脈の上にあるみたいだけど、このあと、赤平の天気は回復していくようです。今日も子ども達が見学に来るの…

引用すると

日本では「つらいことをがまんするのが強さだ!」と教えますが、
「がまん」の意味を「あきらめること」「やめること」
「自分の気持ちや心を押し殺して、じっと耐えること」
と教えてしまう人がいます。

その結果、あきらめたり、やめたりして、問題を解決しようとする人が増えています。
でもそれでは、自分の居場所を失うだけです。やがて、この世にいる場所がなくなります。

僕は、「問題を解決する方法を考える事が、本当のがまんだ」と思っています。

(太字修飾はAihal-Sophia)

パスワークの時に出た話がここにつながるなと思ってます。

出た話の中では、問題ではありませんでしたが、
自分の欲求や願望を【解決する】方法を考えて
行動に結びつけた話だったんです。

そんな風に、自分の欲求に素直でいるのは
昭和の「我慢」とはまったく結びつきませんからね(笑)

「我慢」の元々の意味は仏教用語です。

サンスクリット語 アスミマーナ asmimnaの訳語。

仏教教義においては、心の傲(おご)りを「慢」と称して煩悩(ぼんのう)の一種に数えているが、それに7種あるという。

そのうち、「私は劣れるものより勝(すぐ)れているとか、等しいものと等しいのである」というように「私は……である」と考える心の傲りが狭義の慢であり、「五取蘊(ごしゅうん)(五つの執着の要素)は我(が)あるいは我所(がしょ)からなるものである」と考える心の傲りを我慢と称するのである。

しかし一般には、自己を恃(たの)んで他人を軽んずる意に用いられ、その意味では我執(がしゅう)とほぼ同様の意味である。

〜(中略)〜

 なお、我慢の意義は、のちに逆転して、自己主張を抑えることを「我慢する」というに至った。

コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)より

この文章を読んでいると、
ますますパスワークの話と植松さんのエントリともつながる氣がします。

それは、自分自身を深く知っていくと、この我執はなくなっていくから。

私が利益を得たい!私を尊重しろ!という妄執ではなく、
自分自身を見つめていくことで、他の人も同じように悩み、
もがいているんだとじわじわわかってきます。

自分が幸せでいたい。
だったらどうしたらいいのか?

じっと辛抱をする、という意味の我慢ではなくて
問題を解決しようと考え、行動し続ける行為が
今、これからの私たちには必要なんだろうなと思っています。

そういう意味で
「昭和臭のする我慢」を選び続けるか?
先を見て考え、行動し続ける「がまん」を選ぶか?

行動し続ける「がまん」を選ぶなら
自分の思いを知るのは必須事項!
あなた自身の思いを掘り下げてみませんか?

スポンサーリンク
レクタングル広告(大)